カステレット要塞
(Kastellet)
 別称  : カステレット、フレゼリクスハウン要塞
 分類  : 平城
 築城者: クリスチャン4世
 交通  : エスターポート駅徒歩5分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           三十年戦争さなかの1625年に、デンマーク王クリスチャン4世の命によって建設された。
          北方戦争にともなう1658年のロスキレ条約によって、スコーネなどスカンジナビア半島の
          領土がスウェーデンに割譲されると、コペンハーゲンは首都でありながらエーレ海峡を
          挟んでスウェーデンに直接攻撃されかねない位置関係となった。コペンハーゲンの港を
          守る要塞の重要性が高まったことから、クリスチャン4世の子フレゼリク3世によって要塞
          は拡張工事が始められた。1667年に一応の完成を見たが、その後も改修は重ねられた。
          このときフレゼリクスハウン要塞と命名され、現在もこれが正式な名称である。
           ナポレオン戦争にともなう1801年のコペンハーゲンの海戦や、1807年の英露戦争に
          先立つコペンハーゲンの戦いにおいて、コペンハーゲンは英国艦隊の砲撃を受けた。
          カステレット要塞も防衛線を担っていたが、具体的な動向については定かでない。戦い
          はいずれもデンマークの敗北に終わっている。
           それ以降は、とくに戦火を経験することもなく現在に至っている。

       <手記>
           コペンハーゲンの必訪スポットにして世界三大がっかり名所の1つ人魚姫のすぐ背後
          にあります。ツアーなどで行くともちろん人魚姫メインで要塞などそっちのけになるので、
          気づかない人がほとんどでしょう。
           そもそもカステレットとはデンマーク語で要塞の意味なので、厳密にいうと「カステレット
          要塞」というのは重複になります。とはいえ、なぜか正式名称のフレゼリクスハウン要塞
          の名で呼ぶ人はほとんどいません。
           現在は軍の施設になっていますが、一般に開放されています。入場料などもいらず、
          出入り自由です。城内には普通に銃を携帯した兵士が歩いていますが、誰も気にせず
          幼児連れから老夫婦まで散策を楽しんでいます。稜堡の土塁のうえはぐるっと1周できる
          遊歩道として整備されているので、ランニングやウォーキングに汗を流す市民もたくさん
          見かけます。人魚姫の喧騒が嘘のような静かさで、個人的にはこのまま流行らないで
          いてほしいなぁ〜っと思ってしまいます。
           カステレットは地図で見ても分かる通り、先進国の首都の旧市街にあるとは思えない
          ほど美しい星型に残っています。規模は函館の五稜郭とほぼ同じくらいで、外郭稜堡も
          半分ほど残存しています。
           五稜郭のように斜め上から俯瞰できるタワーなどはありませんが、逆に樹木はきれい
          に整理されているので、桜の名所の五稜郭よりも遺構は観察しやすいです。とくに横堀
          状になっている掩郭(えんかく)のようすがしっかり見通せるので、星型要塞の構造を
          把握するには格好の城跡といえるでしょう。

 北の出入口周辺のようす。
南の出入口周辺のようす。 
 南の出稜堡。
稜堡の1つのようす。 
 要塞内の建物。
稜堡の1つにある風車と模擬大砲。 
 土塁と掩郭。
 その下には犬走り様の区画も見えます。
稜堡の1つを外側から。 
 外郭稜堡の内部。
外郭稜堡外側の濠。 
 聖アルバン協会と出稜堡。
おまけ:要塞から人魚姫ツアーのバスの群れを眺める。 


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