久住砦(くすみ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 狩野氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、虎口跡か
 交通  : 静岡鉄道新静岡駅からバスに乗り、
      「羽鳥」下車徒歩70分


       <沿革>
           安倍城の支砦とみられているが、築城時期や存続期間などは不明である。


       <手記>
           安倍城跡の1つ南側の峰が久住砦跡です。安倍城跡へは大きく3ルートありますが、
          そのうち洞慶院ルートだと、久住砦を経由して安倍城へ至るので合理的です。登山道
          などの情報は、安倍城の項を参照ください。
           安倍城と異なり城址碑などはありませんが、中世城郭ファンが歩けば、城跡のよすが
          ははっきり感じ取れるでしょう。主郭跡の山頂を東へ進むと、南東隅付近に土塁の跡が
          あり、その下に2〜3段の腰曲輪が続きます。また、主郭の北側にも帯曲輪が付属し、
          その北東端は虎口状の開口部になっているように見えます。また主郭の西側は段差
          で区切られていて、その先には電線鉄塔が建っています。おそらく副郭とみられ、西端
          はごく浅い堀切が設けられているように見受けられます。
           久住砦の峰は西に緩やかな尾根が続き、歩いているとところどころ人工のような堀跡
          状地形や段差が見られます。ただ、どこまでが城砦の遺構なのかは難しいところです。
           相対的にみて、久住砦は安倍城と比肩するくらいの規模があり、構造もしっかしとして
          います。安倍城は、記録上は14世紀前半〜15世紀前半の城ですが、久住砦の縄張り
          はそれより後のもののように感じました。安倍城についても3連堀切の存在など、戦国
          時代に入ってからの造作ではないかと思われる部分もあります。個人的には、安倍城
          は15世紀後半の小鹿範満と今川氏親の家督争いのころに再び取り立てられ、久住砦
          もそのときに築かれたのではないかと推察しています。

           
 主郭のようす。
主郭南東隅付近の土塁跡。 
 主郭南東腰曲輪から見た主郭土塁。
主郭南東下段の腰曲輪から見た上段腰曲輪土塁。 
左手奥に主郭土塁も見えます。 
 主郭北側の帯曲輪。
帯曲輪北東隅の虎口状開口部。 
 主郭西端の段差。
 手前は副郭か。
副郭西端の堀切状地形。 
 さらに西側の尾根筋の堀状地形。


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