阿部某屋敷(あべなにがし)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 阿部某か
 遺構  : なし
 交通  : 小田急線鶴川駅徒歩15分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』の岡上村の項に小字「阿部ノ原」として記載がある。それに
          よれば、東に隣接する沢山城城主の家老阿部某が住んでいた所とされる。沢山城主
          および阿部某について、詳細は不明である。
           他方、永禄二年(1559)成立の『小田原衆所領役帳』によれば、小机衆の福島四郎
          右衛門が「奈良岡上」に37貫282文を知行しているとある。沢山城は、後北条氏時代
          後期まで使用されていたと考えられていることから、「沢山城の家老」が居住していた
          とすれば、この福島氏との関連も指摘できるものと思われる。


       <手記>
           阿部ノ原の正確な位置については定かでありませんが、『日本城郭大系』に記され
          ている沢山城からの距離や標高から、おそらく上の地図に示したあたりと思われます。
          比定地は南から延びる緩やかな尾根が鉤手に折れた先端に位置し、沢山城との間に
          は小さな谷戸があります。
           現況は新興住宅地で、遺構などは望めなさそうです。尾根の先端ではあるものの、
          傾斜は緩く、要害性は感じられません。東麓の谷戸には今も水田が残っています。
           沢山城については、北条氏直轄の拠点城という見方が有力です。したがって城主の
          家老が別途居館を構えていて…という『記稿』の記述は疑問です。直観的には、沢山
          城とは直接関係のない岡上村の知行主か、北条氏以前の領主の居館といったところ
          ではないかと思われます。

           
 東側から比定地を望む。
比定地現況。 


BACK