藍原氏館(あいはらし)
 別称  : 粟飯原氏館
 分類  : 平山城
 築城者: 藍原孝遠か
 遺構  : なし
 交通  : JR横浜線相原駅徒歩10分


       <沿革>
           武蔵七党の1つ横山党に属する藍原氏(粟飯原氏とも)の居館である。藍原氏は、横山時重の弟二郎
          孝遠にはじまるとされる。また、時重自身も粟飯原一と名乗ったともいわれるが、詳細は不明である。
           横山党一族は、建暦三年(1213)の和田合戦で和田義盛方につき、敗れて滅んだ。この戦いで討ち
          死にした者のなかに、粟飯原太郎や粟飯原藤五郎といった名が見られる。

       <手記>
           藍原氏の館の位置については、いくつか説があり確定していません。『日本城郭大系』や『町田市史』
          では、清水寺付近ではないかと推定しています。比定地は、背後に多摩丘陵が連なり、南に相模原の
          平野部と境川を望む谷戸にあたり、鎌倉時代前後の武士の居館として相応しい場所といえます。『探訪
          ブックス日本の城』には清水寺裏手に土塁が残るとありますが、どこのことを指しているのかは分かりま
          せんでした。
           また、清水寺の西には相原と横山党の本拠地とされる八王子を結ぶ御殿峠越えの古道があります。
          清水寺の北2qほどの御殿峠脇には、殿丸城があったとされています。『相原村誌』では、この殿丸城
          を藍原氏の居館跡としていますが、峠脇の丘の上という選地が当時の武士の居館として適当ではない
          として、『大系』ではこれを否定しています。
           また、清水寺の西1.5qほどのところには同じく八王子へつながる七国峠越えの古道があったとされて
          います。この古道近くにある長福寺ないし相原八幡宮付近を比定地とする説もあるようです。


           


藍原氏館跡比定地(清水寺)。


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