赤木南城(あかぎみなみ)
 別称  : 赤木城(南城)、赤木山城
 分類  : 山城
 築城者: 古川伝八郎か
 遺構  : 曲輪跡、堀
 交通  : JR篠ノ井線広丘駅からバスに乗り、
      「南内田(公民館前)」下車徒歩15分


       <沿革>
           『松本市史』によれば、天正(1573~92)のはじめに古川伝八郎が守っていたと伝えられる。
          また、天正十三年(1585)に徳川家臣・井伊直政が塩尻峠まで出張って小笠原貞慶の動向を
          窺った際に、貞慶が赤木山に陣を布いたとされるともある。この赤木山陣が、赤木南城の旧塁
          である可能性が指摘されるが、確証はない。
           同年、徳川家重臣・石川数正が人質に差し出していた貞慶の嫡男・貞政を連れて豊臣秀吉
          の下へ出奔したため、貞慶も後を追って豊臣家に仕えたとされる。したがって、赤木山布陣が
          事実とすれば、それ以前のことと考えられる。


       <手記>
           赤木山の南西に派生する支峰上に築かれた城です。北側に比較的新しい道路が走り、城山
          との間にはセイコーエプソンの広い駐車場があります。ここに駐車して城山に取り付けられれば
          最も簡単なのですが、監視カメラに加えて警備員巡回区域という厳重さで部外者の立ち入りを
          禁止しており、路肩の駐車スペースを探さなければなりませんでした。
           城内へは、先端側から法面を登って入れます。道路建設による破壊で全体像の把握は困難
          となっていますが、主郭と背後に二重の堀切、そして前方側に竪堀ないし虎口状の地形が認め
          られました。すぐ北東に赤木山の山頂があり、こちらにも城砦があっておかしくないように思い
          ますが、今はセイコーエプソンの事業所敷地となっており、やはり地形が大きく改変されている
          ようです。
           また、同じく赤木山から派生する北西の丘陵縁には、南城に対する北城があります。ただし、
          両者は構造や立地が大きく異なり、対になる関係であったようには私には思えません。『日本
          城郭大系』などでは北城を単に赤木城としており、たとえば南城を赤木山城、北城を赤木城や
          赤木館などと改名すべきではないかな、と個人的には考えています。

           
 赤木北城跡近望。
主郭のようす。 
 主郭背後1条目の堀切。 
同じく2条目。 
 主郭先端側の竪堀ないし虎口状地形。


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