御茶屋屋敷(おちゃや) 付谷屋敷(たにやしき) |
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別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 徳川家康 | |
遺構 : 土塁、堀、虎口 | |
交通 : JR東海道本線美濃赤坂駅下車徒歩10分 | |
<沿革> 慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後、徳川家康は東山道を中山道として整備し、 主要な宿場には自身の上洛時の宿舎として御茶屋屋敷を設置した。赤坂の御茶屋 屋敷は、同十四年(1609)に築かれた。岐阜城にあった信長時代の御殿を移築する など、他の御茶屋御殿と比べて規模の大きなものであった。 3代家光以降は将軍上洛の必要がなくなったため、各地の御茶屋屋敷は順次廃止 されていった。赤坂の御茶屋屋敷も、寛永年間(1624〜43)に取り壊された。 <手記> 御茶屋屋敷の跡は、半分ほどがぼたん園として保存されています。赤坂宿は北に 金生山、南に関ヶ原の戦いで家康の本陣となった勝山があり、交通の要所でした。 戦国期には谷氏の屋敷があったとされ、その位置は御茶屋屋敷に隣接する付近と されています。ただ、私はむしろ谷氏の屋敷跡を御茶屋屋敷として普請し直したの ではないかと考えています。 土塁や堀に加え大手と搦手の虎口が良好な形で残っていて、宿泊施設といえども ひと通りの防御機能を有していたことがはっきり見て取れます。 |
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御茶屋屋敷の土塁と堀。 | |
虎口。ずっと大きな大手虎口も残っています。 写真が上手く撮れなかったので載せませんでしたが。 |