明石田館(あかしだ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 明石田氏
 遺構  : 不詳
 交通  : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、
      「東町」下車徒歩10分


       <沿革>
           二階堂家臣明石田氏の居館である。明石田氏の出自は不明だが、『日本城郭大系』
          には鎌倉時代の創建とある。これが正しければ、二階堂氏が下向する以前からこの地
          に居住していた可能性がある。
           天正十七年(1589)、二階堂氏は伊達政宗に攻め滅ぼされたが、翌十八年(1590)に
          政宗が小田原へ参陣した際に、矢田野義正を中心とする二階堂旧臣が大里城に立て
          籠もって叛旗を翻した。そのなかの1人に、明石田左馬介の名がある。一夜館の伝承
          によると、大里城が容易に落ちなかったため、伊達軍は主なき明石田館を攻めるため
          に同館を築いたとされる。これが正しければ、明石田館で戦闘があったものとみられる
          が、真偽は定かでない。その後の明石田館および明石田氏についても不明である。


       <手記>
           明石田館は仁井田字毘沙門にあったとされていますが、正確な位置や構造について
          ははっきりしません。上に図示したあたりに、畑に囲まれ木が数本生えた、塚のような
          こんもりとした地形があります。土塁と呼ぶには少々裾野が広くて緩やかな感じですが、
          周囲が整地されているなかでは、比較的旧状を残している箇所のように思います。

           
 館があったとされる字毘沙門を望む。
塚状地形を望む。 
 塚状地形のようす。


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