安子島城(あこがしま) | |
別称 : 安子ヶ島城、安子嶋城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 安子島氏 | |
遺構 : 堀跡 | |
交通 : JR磐越西線安子ヶ島駅徒歩5分 | |
<沿革> 安積伊東氏の庶流安子島氏の居城であるが、詳しい系譜や築城時期などは不明である。 安子島氏は二本松城主畠山氏に従っていたが、天正十四年(1586)に同氏が伊達政宗に 滅ぼされると、安子島治部大輔祐高は高玉常頼や大内定綱・片平親綱兄弟らとともに蘆名 義広に属した。 天正十六年(1588)に定綱が、翌十七年(1589)三月に親綱が相次いで伊達氏に寝返ると、 政宗は翌四月に蘆名攻略の足がかりとして安子島城を包囲した。祐高は徹底抗戦の構えを 見せたが、兵力差は歴然としていたことから無益を悟り、伊達成実に開城を申し出て会津へ 逃れた。これにより、安子島城は廃城となったとみられる。 <手記> 上に図示した農道脇に、立派な城址碑が建てられています。安子ヶ島駅前に車を止めて 歩いたのですが、石碑付近には十分な駐車スペースがありました。 周辺はすっかり土地改良されており、地表の遺構は消滅しています。現地に立てば、北は 五百川の切り立った河岸、東も深い谷となっていて、段丘の角を利用した要害の城であった ことがうかがえます。また北辺を注意深く歩くと、2か所ほど堀の名残のような地形が見受け られます。 |
|
城址碑。 | |
城跡現況。 | |
堀跡の北端とみられる地形。 | |
もう1本の堀跡とみられる地形。 | |
東側の谷。 | |
おまけ:ちょうど安子ヶ島駅に列車が来ました。 |