穴内城(あなない)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 安芸元盛
 遺構  : なし
 交通  : 土佐くろしお鉄道ごめんなはり線穴内駅徒歩20分


       <沿革>
           安芸氏の砦として新庄城とともに築かれた。弘治元年(1555)に、安芸元盛が家臣寺尾内蔵助を
          城主としたとされる。
           永禄十二年(1569)に安芸国虎と長宗我部元親の間で緊張が高まると、国虎は重臣黒岩越前守
          を穴内・新庄両城に配して備えた。同年に元親が軍を興すと、安芸勢は穴内の西、八流の丘上に陣
          を張った。この八流の戦いに敗れた安芸勢は穴内・新庄両城に撤退したが、勢いに乗った長宗我部
          軍を抑えることはできず、安芸城へ退却した。
           安芸氏が滅亡すると、穴内・新庄両城には吉田左衛門佐孝俊が入った。廃城時期は不明である。


       <手記>
           新庄城とセットで、和食と安芸を結ぶ隘路を押さえる役目を負っていたものと考えられます。城は、
          海岸線からは多少奥まったところにある台地の先端に築かれています。北側のみが地続きとなって
          いて、その他の三方は急崖となっています。
           現在、城跡は畑や墓地となっており、取り立てて遺構らしきものは見当たりません。一部段がずれ
          ていたり、台地の付け根が堀切状に削られているようにも見えるのですが、当時のものかどうかは、
          判断がつきかねます。
           新庄城も穴内城も城地は狭く、とても長宗我部氏の大軍を抑えられるものではなかったでしょう。
          黒岩越前が八流を決戦地と選んだのも、無理からぬことかと感じました。

           


穴内城址現況。


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