新庄城(しんじょう)
 別称  : 新城城、新荘城
 分類  : 平山城
 築城者: 安芸元盛
 遺構  : なし
 交通  : 土佐くろしお鉄道ごめんなはり線穴内駅徒歩15分


       <沿革>
           安芸氏の砦として、穴内城とともに築かれた。弘治元年(1555)に、安芸元盛が家臣寺尾内蔵助
          を城主としたとされる。
           永禄十二年(1569)に安芸国虎と長宗我部元親の間で緊張が高まると、国虎は重臣黒岩越前守
          を穴内・新庄両城に配して備えた。同年に元親が軍を興すと、安芸勢は穴内の西、八流の丘上に陣
          を張った。この八流の戦いに敗れた安芸勢は穴内・新庄両城に撤退したが、勢いに乗った長宗我部
          軍を抑えることはできず、安芸城へ退却した。
           安芸氏が滅亡すると、穴内・新庄両城には吉田左衛門佐孝俊が入った。廃城時期は不明である。


       <手記>
           新庄城は、土佐湾に流れ落ちる小沢によって削られた、台地の先に築かれています。現在、城跡
          の先端に八幡社が鎮座しています。その他は畑となっていて、ビニールハウスが立ち並んでいます。
           八幡社が立つ場所は、先端ではあるものの最高所ではありません。神社のすぐ東側が最高所です
          が、畑の所有者のものと思われる石塔がいくつか並んでいます。おそらくここが本丸で、神社の社地
          を含めて東西に2つ・3つ副郭を備えたつくりだったものと考えられます。
           いずれにしても穴内城同様、長宗我部氏の大軍を抑えられるような規模の城ではなかったと思われ
          ます。

           


新庄城址現況。


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