青野城(あおの)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 稲葉正休
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線垂井駅下車徒歩30分


       <沿革>
           稲葉正成の子正次は、もともと嫡子であったが、正成の側室であった福が徳川家光の乳母
          (春日局)となったため、福の子である異母弟正勝に正嫡を譲った。正次はその後幕府に召し
          出されて5千石を与えられ、美濃国青野村に居を構えた。
           正次の子正休は、天和元年(1681)に若年寄とって加増を受け、1万2千石の大名に列した。
          青野城とはこの青野藩の政庁を指すものであるが、規模等は不明である。
           貞享元年(1684)、正休は江戸城内において、大老で従兄弟の堀田正俊を刺殺し、自身も
          居合わせた老中大久保忠朝らに斬殺された。これにより、青野藩は廃藩となり所領は天領と
          された。


       <手記>
           青野城の正確な位置は、今では不明となっています。青野集落には、稲葉正休の顕彰碑が
          建てられています。また、付近に稲葉の地名を残すなど、狂人と片付けられがちな正休もここ
          では大いに偲ばれていることが分かります。
           隣の青墓集落にある延長寺の山門は、青野城の表門を移築したものと伝えられています。
          たしかに城門にふさわしい長屋門なのですが、やはりというか残念なことに、あまり管理がなさ
          れていないように見えます。


           
 稲葉正休の顕彰碑。
 城はこの周辺にあったものと思われます。
青墓集落の延長寺に移築現存する旧青野城城門。 


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