荒城(あら)
 別称  : 新城
 分類  : 山城
 築城者: 諏訪継満
 遺構  : 曲輪跡、堀
 交通  : JR中央本線上諏訪駅よりバス
       「大熊支所前」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           『諏訪御符礼之古書』によれば、文明十八年(1486)に諏訪大祝家諏訪継満によって
          築かれたとされる。継満は、諏訪惣領家と争った同十五年(1483)のいわゆる「文明の
          内訌」に敗れて高遠へ逃れたが、翌十六年(1484)に再挙を図って武居城に陣取った。
          両者の間には和議が成立したが、惣領家に備える目的で荒城が築かれたものと推測
          される。
           廃城時期は不明だが、諏訪地方での内乱に際して築かれた城であり、永正十五年
          (1518)に諏訪頼満が諏訪地方を統一する頃には、存在意義はほとんどなくなっていた
          ものと考えられる。


       <手記>
           荒城は、権現沢川と唐沢川に挟まれた細く急峻な峰の尾根筋にあります。東に諏訪
          大社上社と、大祝家の拠点である武居城があります。また、北西には惣領家の拠点の
          1つである大熊城があります。武居城の西側にある上社が大熊城からの攻撃に直接
          晒されないようにという、対抗・監視・緩衝の目的で築かれたことは明白です。もう少し
          峰の根本の方が、防御力や曲輪面積の確保等に優れているにもかかわらず、荒城が
          細い尾根先に築かれているのも、ひとえに大熊城を望めるか否かの違いによるものと
          推測されます。
           北西麓の墓地脇から山上へ竪堀状の堀底道が続いていて、おそらくこれをたどれば
          城跡へ至るものと思います。ところが、この道は途中で完全に藪で閉ざされてしまって
          います。周囲は、両脇の沢両方に砂防ダムが建設されるようで、その本体工事や車両
          用通路の建設などで大きく地形が崩されているため、なかなか取りつく道が見つかり
          ませんでした。結局、かなり沢を遡ったところで無理やりに山肌をよじ登って尾根筋へ
          上がりました。そこから尾根を下り、藪へ逃げ込む獣の足音(おそらくシカかカモシカ)に
          驚きながら、ようやく主郭と思しき地点へ到着。城は、上下2段程度の削平地から成る、
          至って単純で小規模なものです。すると、今度は麓へ下りる道がありませんので、無理
          やりに谷筋をよじ降りてなんとか工事現場に出ることができました。諏訪で最も訪れる
          のに苦労し、かつ最も報われない城かもしれません(苦笑)。
           ちなみに、荒城には読みは同じで「新城」という別称がありますが、築城の経緯を考え
          れば、おそらく新城こそが当時の呼び名であったのではないかと思います。

           
 麓の墓地から城へと至る堀底道。
主郭のようす。 
 墓地付近から大熊城を望む。


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