荒井城(あらい) | |
別称 : 清水城、荒井館、清水ヶ城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 島立貞永 | |
遺構 : 土塁か | |
交通 : 松本電鉄信濃荒井駅徒歩5分 | |
<沿革> 信濃守護・小笠原貞朝の家臣・島立右近貞永の居城と伝わる。島立氏は小笠原氏の一族と されるが、系譜については詳らかでない。貞永は、永正元年(1504)に深志城(後の松本城)を 築いた人物として知られ、同十四年(1517)に93歳で没したといわれる。 松本城の二の丸にあった若宮八幡は、貞永の孫・貞知が大永三年(1523)に祖父を埋葬した 地に城の鎮守として勧請したものと伝わる。貞知は同年に荒井城へ居城を戻したともいわれる が、詳しい動静は定かでない。 天文十九年(1550)に武田晴信(信玄)が小笠原氏を駆逐すると、荒井城も落城したとされる。 そのまま廃城となったとみられるが、確証はない。 <手記> 奈良井川西岸の沖積地に築かれた平城です。上に図示したポイントに説明板が建てられて おり、その背後には土壇上に小社が祀られています。土壇は土塁跡とも見えますが、遺構かは 不明です。 国土地理院地図の古い航空写真や今昔マップを参照すると、説明板の北東、八十二銀行の 南側が沖積地の角で一段高くなっていたようです。ここが城の北東隅で、土壇が土塁跡である とすると、銀行南側のブロックを主郭として、外側に最低もう1郭をもつ構造であったと推測され ます。 |
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説明板と小社。 土壇は土塁跡か。 |
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東辺の水路。 |