松本城(まつもと)
 別称  : 深志城、烏城
 分類  : 平城
 築城者: 島立貞永
 遺構  : 天守、小天守、櫓、石垣、門、水濠
 交通  : JR中央本線松本駅徒歩10分


       <沿革>
           永正元年(1504)、信濃守護小笠原氏が居城を井川城から林城に移した際に、支城として一族の
          島立貞永、あるいは坂西氏が築いたと伝わる。
           天文十九年(1550)、小笠原長時が武田晴信(後の信玄)に林城を逐われると、深志城は信州の
          拠点として晴信により改修され、重臣馬場信春が入城した。
           天正十年(1582)に武田氏が滅亡すると木曽義昌が入り、同年の本能寺の変後には上杉景勝が
          接収した。同年七月、旧臣に奉じられた小笠原長時の三男貞慶が深志城を奪取し、城名を松本城
          と改めた。貞慶は、同十八年(1590)に徳川家康の関東移封に従って下総古河に移り、松本には
          旧家康家臣で豊臣秀吉に引き抜かれた石川数正が8万石で入った。数正・康長父子により、今日
          の大天守と小天守が築かれた。
           石川氏時代の大天守には、現在は無い廻縁が巡っており、破風も大きく異なっていた。石川氏は
          関ヶ原の戦いで東軍についたが、かつて徳川家を去ったことが影響したのか、慶長十八年(1613)
          に改易となった。代わって貞慶の子秀政が入り、小笠原氏の旧領復帰となったが、大坂夏の陣後
          の元和三年(1617)、秀政の子忠真は明石へ転封となった。
           その後、戸田氏2代を経て、結城秀康の二男松平直政が松本藩主となった。直政は、将軍家光の
          上洛に備えて天守の増改築を行い、辰巳付櫓や月見櫓を天守に連結させ、今に残る天守群を完成
          させた。直政は寛永十五年(1638)に松江へ転封となり、以後堀田正盛、水野氏6代、戸田氏9代を
          経て明治維新を迎えた。
           松本城天守は競売に付され、取り壊しの危機に直面した。しかし、民権家市川量造の尽力により 
          買い戻された。さらに旧制松本中学校校長であった小林有也によって修理されて、今日にその威容
          を伝えている。


       <手記>
           いわずと知れた国宝松本城です。白鷺城と称えられる姫路城に対して烏城と呼ばれますが、黒壁
          に包まれた無骨さだけでなく、月見櫓やアルプスの山並みを添えて映える優雅さを兼ね備えた城と
          いえます。
           現存する天守群や本丸黒門のほかにも、復元された二の丸太鼓門や礎石紹介されている二の丸
          御殿跡も新たな見所といえます。晴れてはいたのですが、残念ながらアルプスは霞んで見えません
          でした。
           とはいえ松本城の魅力は、撮影する角度やポイントによって様々な美しい写真が撮れる点にあると
          思います。下に載せたの写真はほんの一部です。
           大手門跡から外堀の役割を果たした女鳥羽川に沿って、縄手通りとよばれる古い町並みを再現し
          た商店通りがあり、こちらも新たなスポットとして売り込んでいるようですが、個人的には余り面白い
          物ではありませんでした。むしろ女鳥羽川を挟んで対岸に点在する蔵の町並みを散策するのが楽し
          いでしょう。

           
 天守群を望む。。
本丸から天守を望む。 
 埋橋と天守。
本丸黒門。 
 復元された二の丸太鼓門。
二の丸御殿跡。 


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