荒子城(あらこ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 前田利春か | |
遺構 : なし | |
交通 : 市営地下鉄東山線高畑駅徒歩5分 | |
<沿革> 前田利家の父利春(利昌)によって、天文年間(1532〜55)に築かれたと伝わるが、 確証はない。荒子城主前田氏(前田蔵人家)は、一説に前田城主前田与十郎家の 分家で利春の父利隆に始まるとされるが、利春以前の系譜は詳らかでない。利家は 天文七年(1539)に荒子城で誕生したとされるが、出生地は前田城とする説もある (生年についても同五年・六年説あり)。 永禄三年(1560)に利春が没すると、跡を長男の利久が継いだ。しかし、同十二年 (1569)に、主君織田信長は弟の利家への家督移譲を命じた。このとき、荒子城代 を務めていた奥村永福は城の明け渡しに抵抗し、利久の指示を受けてようやく開城 した後、前田家を辞して浪人したとされる。 天正三年(1575)、越前国に所領を与えられた利家は府中城へ移り、荒子城には 利家の嫡男利長が残った。その利長も、天正九年(1581)に利家が能登一国を与え られると府中城主にスライドし、荒子城はこのときに廃城となったとされる。 <手記> 荒子観音南西の天満天神宮付近が荒子城跡とされ、説明板や利家生誕地を謳う 碑などがあります。遺構はありませんが、周囲には大和ヶ池や念仏池といった小字 があるようで、低湿地や池に囲まれた平城であったものと推察されます。 加賀百万石の原点ともいえる場所ですが、神社は小ぢんまりとしていてとくに見る べきものもなく、より目立つ荒子観音や荒子公園と間違えてしまわないよう、注意が 必要です。 |
|
荒子城跡の天満天神宮。 | |
「前田利家御誕生之遺址」碑。 |