川島城(かわしま)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 川島惟忠
 遺構  : 不詳
 交通  : JR徳島線阿波川島駅徒歩10分


       <沿革>
           元亀四年(1573)の上桜城の戦いで三好長治が重臣篠原長房を討ち滅ぼすと、
          戦功のあった川島兵衛進惟忠が篠原領のうち200貫を与えられた。惟忠は上桜城
          を廃し、新たに川島城を築いた。
           天正七年(1579)、惟忠は脇城外の戦いで討ち死にしたが、川島城の処遇に
          ついては詳らかでない。
           天正十三年(1585)に羽柴(豊臣)秀吉が四国を平定すると、蜂須賀家政が阿波
          一国に封じられた。家政は川島城代に家臣林能勝を入れ、阿波九城の1つとして
          整備した。能勝死後の城代は不明だが、寛永十五年(1638)に他の阿波九城と
          ともに、一国一城令に従って廃城となった。


       <手記>
           吉野川に突き出た小高い丘の上に4層4重の模擬天守が建っているので、すぐに
          それと分かる城です。模擬天守はレストハウス兼展望台となっていて、入場料は
          無料です。
           城内の遺構ははなはだ不明瞭で、模擬天守や駐車場、川島神社や運動場など
          の建設により、ほとんど破壊されています。一見土塁や堀や切岸のように見えて
          しまうところはちらほらあるのですが、おそらく工事によるものでしょう。
           丘の先端の「岩の鼻」とその手前には、わずかながら当時の削平地ではないか
          と思える地形がみられます。近世城郭の跡を見出すには不十分ですが、ここが
          現在の川島城址でもっとも城跡らしい箇所だと思います。
           川島城については、篠原長房が滅んだ後に川島惟忠によって築かれたと一般
          にいわれていますが、私はこの見方には疑問です。第一に川島惟忠なる人物に
          ついて素性が知れず、長房討伐後ににわかに川島城とセットで現れるのはやや
          不自然です。また、山上にあって規模も小さい上桜城を、三好三人衆をもしのぐと
          謳われた権力者篠原長房の居城とするのもちょっと合点がいきません。もともと
          川島城は長房の平時の居城であったと考えた方がしっくりいくように思うのです。

           
 川島城模擬天守。
上桜城址から川島城址を望む。 
 川島城跡説明板。
川島神社。 
 城跡先端の岩の鼻。
岩の鼻からの眺望。 
 岩の鼻付け根の削平地状の広場。


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