岡本城(おかもと)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 岡本通輔か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、貯水池
 交通  : JR内房線富浦駅徒歩15分


       <沿革>
           里見家臣岡本通輔によって築かれたとされる。岡本氏はもともと古河公方の家臣で、通輔が
          里見氏に仕えたものと伝えられる。ただし、岡本川河口に岡本の地名があり、これを名字の地
          とした土豪とも考えられ、出自については疑問も残る。
           元亀元年(1570)、里見義弘は後北条氏に対する海防の観点から、岡本城への居城移転を
          計画した。通輔の子の随縁斎安泰は、城を譲り渡して千代村に移ったとされる。岡本城は改修
          が施され、同三年(1572)に完成して義弘の弟ないし庶長子の義頼が城主となった。
           義弘が天正六年(1578)に没すると、義弘の嫡男・梅王丸(義重)と義頼の間で家督争いが
          生じた。梅王丸は同八年(1580)に降伏し、義頼によって岡本城内の聖山に幽閉され、出家を
          強要されて淳泰と号した。
           天正十五年(1587)に義頼が病没すると、嫡男の義康は新たに館山城の築城を開始した。
          江戸時代中期に成立した『房総里見誌』によれば、館山移転はそもそも義頼の発案とされる。
          館山城は同十八年(1590)夏ごろに完成したとされるが、築城の経緯については明らかでない
          点も多い。館山移転によって、岡本城は廃城となったとみられるが、詳細は不明である。


       <手記>
           海に臨んで富浦駅の北にせり出す峰が岡本城跡です。城域は大きく2つのピークに分けられ、
          北西先端側が主郭の峰で、南東側が聖山と呼ばれています。また、『日本城郭大系』によると、
          前者が「北手城」、後者が「南手城」の字を持っているようです。
           主郭の峰の西麓と南麓から登れますが、南麓の道は入口が分かりにくいので、西麓から入る
          のがおすすめです。国道のトンネル手前を旧道に折れると、まもなく案内があります。登山口の
          前は字用害といい、ここに平時の居館があったと見られ、今も付近には岡本姓の居宅が見られ
          ます。
           登山口から主郭までは、5分とかかりません。主郭には説明板が城址碑が設置されています。
          とはいえ岡本城跡は国史跡のうえ、主郭の峰は一帯が里見公園となっているにもかかわらず、
          それらの名に見合った整備がなされているとは、とてもいえません。なにより全体像が把握でき
          ないのが残念です。
           主郭南東からもう1つの道を下りると、主郭の峰背後の堀切に出ます。この堀切を通って南側
          へ向かうと、先述のもう1つの入城口となります。途中にはまた広めの削平地があり、なにかしら
          の屋敷等が営まれていたものと推測されます。また、堀切脇はビワ畑となっていて、これも曲輪
          の跡でしょう。
           堀切から聖山山頂までは重機道が通っていて、途中の遺構は部分的に破壊されているものと
          思われます。腰曲輪や堀ないし切岸とみられる地形はありますが、尾根筋自体は藪や重機道に
          よる法面などに阻まれ踏査は困難です。
           聖山の頂上は、険しさや堅固さはないものの、土塁で北半分が囲まれた曲輪となっています。
          城跡とは無関係ですが、1段下の腰曲輪には養蜂箱が並んでいて、ミツバチが活発に出入りを
          していました。
           聖山からさらに尾根筋を行き、道が大きくカーブするあたりで峰上の方に分け入ると、「枡ヶ池」
          という方形の貯水池の跡があります。どんなに旱魃となっても涸れることはなかったと伝えられ、
          私が訪れたときも、満々とはいかないまでもドロドロに水を含んでいました。
           全体としてみると、おそらく岡本氏時代には主郭の峰部分だけだったものを、義弘が聖山まで
          拡張したのでしょう。水軍の運用には利があったかもしれませんが、とても一国の大名が居城と
          して長くとどまるような地勢には見えず、逆に10年もここにいたというのが不思議なくらいです。
          それだけ、里見氏にとって敵は海の向こうの後北条氏だけであり、拡大路線を棄てて専守防衛
          に注力していたということなのでしょう。

           
 岡本城跡(主郭の峰)を望む。
西麓の登城口。 
 登りはじめて最初に目に行き着く曲輪。
主郭の説明板。 
 主郭のようす。
同上。 
 主郭の城址碑。
主郭のさらに先端方面の尾根。 
段差が遺構かは不明です。 
 同じく土橋状地形。
同じく櫓台状地形。 
 物見台とされる尾根先端。
主郭尾根からの眺望。 
 主郭の峰背後の堀切。
堀切脇のビワ畑。曲輪跡か。 
 聖山へ向かう重機道。
重機道脇の腰曲輪跡。 
 聖山尾根筋の堀切ないし切岸状地形。
聖山山頂の曲輪。 
左手は土塁。 
 同じく北東隅の土塁。
聖山東側の腰曲輪。 
 おまけ:腰曲輪の養蜂箱。
同上。 
 枡ヶ池。
主郭の峰南側中腹の削平地。 
 南から主郭の峰(左手)と聖山(右手)を望む。


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