矢上城(やがみ)
 別称  : 勝興寺城
 分類  : 平城
 築城者: 矢野虎村か
 遺構  : なし
 交通  : JR徳島駅からバスに乗り、「春日」下車すぐ


       <沿革>
           三好家臣矢野虎村の居城とされる。ただし、虎村が築いたのかなど、築城の経緯は
          定かでない。天正十年(1582)の中富川の戦いに際し、勝瑞城主十河存保は矢上城
          に入って指揮を執った。この戦いで、虎村とその子ないし甥とされる備後守が戦死した。
          虎村の嫡男駿河守国村は、これに先立つ同七年(1579)の脇城外の戦いで討ち死に
          している。存保も敗れて讃岐に退いたため、矢上城は廃城となったものと推測される
          が、確証はない。


       <手記>
           矢上城は勝瑞城の西の防衛拠点で、正法寺川の屈曲部を利用した城と推定されて
          います。とはいえ遺構は残っておらず、県道14号沿いの水田の中に、城主を祀ったと
          される小塚と石祠が残るのみです。
           正法寺川の屈曲部は池のように広がっていて、時期によっては遊覧船が運行され
          るようです。

           
 城主を祀ったとされる小塚と石祠。
正法寺川の屈曲部。 
 屈曲部付近から見た城内側のようす。


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