粟沢城(あわざわ)
  別称  : 和田城
  分類  : 平山城
 築城者 : 粟沢氏
  遺構  : 土塁
  交通  : JR中央本線茅野駅よりバス
        「小泉入口」バス停下車


       <沿革>
           『諏訪城址遺聞』によれば、「平治(1159〜60)の頃粟沢七郎之に居す」とあり、
          かなり古い時代に居館が構えられたと考えられている。粟沢氏は、諏訪氏の支族
          とされる。さらに、天文年間(1532〜55)に諏訪越中守が在城して武田氏に属し、
          後に田中淡路守が城将となったとあるが、詳細は不明である。
           異聞として、天文十一年(1542)に諏訪氏が武田晴信に滅ぼされた後、粟沢氏
          の末裔を称する同じ諏訪氏支族の沢重信がこの城に入ったと伝えられる。重信の
          子の長門守房重は、天正十年(1582)の本能寺の変に乗じて旧領回復を図った
          諏訪頼忠に従い活躍した。廃城時期は詳らかでないが、これに前後してのことと
          考えられる。


       <手記>
           粟沢城は、山浦(もしくは山裏)と呼ばれる、上川の上流域に突き出した台地の
          突端にあります。三方を川に浸食され、上川を挟んだ対岸には鬼場城があります。
          上川の支流に沿った粟沢・和田の谷地集落を押さえる要地にあるといえます。
           城域のほとんどは、宅地あるいは田地となっています。駐車場の一角に、土塁と
          思わしき土盛りと、その上に石碑が建てられています。


           
 城址石碑。
  周辺現況。 


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