鮎貝城(あゆかい)
  別称  : 桜館
  分類  : 平山城
 築城者 : 鮎貝成宗
  遺構  : 曲輪・堀・土塁・虎口
  交通  : 山形鉄道フラワー長井線鮎貝駅徒歩20分


     <沿革>
        横越城から鮎貝に居を移した鮎貝成宗により、応永三年(1396)に築かれたと伝えられる。
      鮎貝氏はその後伊達氏に従属するが、鮎貝郷を中心に国人的在地領主として勢力を保って
      きた。天文の乱に際して鮎貝氏は稙宗側につき敗れたが、その後も伊達晴宗に所領を安堵
      されている。
        天正十五年(1587)、鮎貝城主鮎貝宗信は最上義光と結んで伊達政宗に叛旗を翻すが、
      逆に政宗によって滅ぼされた。
        その後鮎貝城には伊達氏によって在番将がおかれた。伊達氏移封後も、代わって入封し
      た蒲生氏・上杉氏によって在番制が敷かれた。寛文五年(1665)年以降は、上杉氏家臣の
      本庄氏が、「御役屋」の在番将として明治まで居住した。


     <手記>
       現在城地には鮎貝八幡宮が建っていますが、遺構の保存状況は良く、特に八幡宮背後に
      は土塁、水堀(薬研堀)や虎口などがはっきりと残っています。また城下の町割にも、城の直
      下で二度鉤の手に折れているなど、往時を偲ぶことができます。
       神社の脇には地元の保存会が作成したという復元模型が安置されていますが、これは少々
      立派過ぎるようです(笑)。




鮎貝城薬研堀


鮎貝城虎口


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