番場城(ばんば)
付殿屋敷遺跡(とのやしき)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 土肥氏か
 遺構  : 曲輪跡、堀切
 交通  : JR琵琶湖線米原駅よりバス
       番場停留所徒歩10分


       <沿革>
           番場城は、鎌倉時代箕浦庄の地頭を務めた土肥氏の城と考えられている。土肥氏は、15世紀後半
          までは番場から箕浦にかけて一帯を支配していたとされるが、戦国時代の進展とともに衰えていった
          ようである。その最期は詳らかでないが、享禄四年(1531)に今井秀俊が六角氏によって自刃に追い
          込まれた際、秀俊の妻の実家であった土肥氏も歴史の表舞台から姿を消したとみられている。
           土肥氏の居所に関して、従来鎌刃城を充てる向きが強かったが、近年鎌刃城の研究が進むにつれ、
          土肥氏についても見直しがなされるようになった。番場集落には「殿屋敷」の小字をもつ一画があり、
          その背後の通称「天神山」に、未発達の城郭遺構が見つかった。今日では、これらを土肥氏の城館と
          比定する説が定着しつつある。小字「殿屋敷」は田圃となっていて、地権者の同意が得られていない
          ことから未調査である。そこから北に200mほどの場所は、圃場整備にともなって発掘調査が行われ、
          15世紀初頭前後の建物遺構が検出されている。


       <手記>
           番場城跡への明確な登城路はありません。殿屋敷遺跡は、番場城南側の名神高速ゲート道の北側
          を指すそうですが、とくに遺構を示すものは何もありません。地元の方に伺ったところ、ゲート道南側に
          ある数段の田地が圃場整備に先んじて発掘された地点で、検出された遺構の保護のために周囲より
          高く盛土してあるのだそうです。

           
 番場城址と鎌刃城址を望む。
 中央下の鉄塔が二本立っている小山が番場城址。
 その奥に連なる峰の付け根あたりが鎌刃城址。
殿屋敷南側発掘地点から番場城址を望む。 


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