番条城(ばんじょう)
 別称  : 番条環濠
 分類  : 平城
 築城者: 番条氏か
 遺構  : 堀
 交通  : 近鉄橿原線筒井駅徒歩20分


       <沿革>
           興福寺大乗院方の衆徒番条氏の居館にはじまるとされる。番条氏は、出自は定かでないが、
          応永二十一年(1414)の記録に見られるのが初出とされる。
           長禄三年(1459)、幕府に赦免され勢力を盛り返した筒井順永に攻められ、番条長懐は城を
          焼いて落去した。阿弥陀院の北には「念仏堀」と呼ばれる堀があったとされ、このときの戦いで
          多数の死者を出したことにちなむと伝えられる。『大乗院寺社雑事記』にも、番条郷民ら多くの
          男女が堀に落ちて死んだことが記されている。
           応仁元年(1467)に応仁の乱が勃発すると、長懐は筒井氏と和解し、その麾下となって復帰
          した。筒井氏の居城筒井城は、永禄八年(1565)に多聞山城主松永久秀に攻め落とされた。
          筒井順慶は翌年に奪還したものの、同十一年(1568)に再び攻め落とされ、元亀二年(1571)
          に再度奪い返している。番条城も、そのたびに筒井城と命運を共にしたと思われるが、攻城戦
          の有無など詳細は定かでない。
           順慶は子宝に恵まれず、番条懐盛の子の五郎(懐慶)を養嗣子に迎えようとしたが、本人が
          固辞したため、従兄の定次が筒井家を継いだともいわれる。その後の番条氏および番条城に
          ついては詳らかでないが、遅くとも天正八年(1580)に織田信長が大和一国破城を命じた際に
          廃城となったものとみられる。


       <手記>
           番条城は佐保川東岸の南北に細長い環濠集落様の城館跡です。『日本城郭大系』によれば
          縦に3つの館城が並んで結合したもので、戌亥殿や辰巳殿といった一族の名称がみられるそう
          です。
           遺構としては、地図上でも分かる東辺の堀(環濠)が見どころです。ところどころ折れているの
          ですが、これが横矢のような防衛上の工夫なのか、単に館の形状等に伴うものなのかは判然
          としません。
           北東隅には熊野神社があり、境内の東辺及び北辺は、わずかながら土塁状に盛り上がって
          いるように見受けられます。これが土塁の痕跡とするなら、環濠と合わせて貴重な遺構といえる
          でしょう。
           現在の番条集落の中心には、大和郡山市で唯一の酒蔵となっている中谷酒造があります。
          蔵のHPには、かなりしっかりとした番条の歴史が記されていて、大いに参考にさせていただき
          ました。敷地を覗いたものの見学や小売販売をされているのか分からなかったので、立ち入り
          はしませんでしたが、帰りに郡山市街の今中酒店さんで、吟醸「大和大納言 豊臣秀長」を購入
          しました。なんでも中谷酒造さんと付き合いが古く、優先的にお酒を回してもらっているのだそう
          です。

 東辺の環濠。
同上。 
 南東隅のようす。
北東隅の熊野神社。 
 境内東辺の土塁状地形。


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