万松寺館(ばんしょうじ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁
 交通  : 東武東上線東松山駅からバスに乗り、
      「パークタウン五領」または「柏崎」
      下車徒歩7分


       <沿革>
           柏崎の万松寺に土塁がみられ、『中世城館調査報告書集成』等で城館跡とされているが、史料
          や伝承はなく、詳細は不明である。万松寺はもともと三河国八名郡和田村にあったが、徳川家康
          が天正十八年(1590)に関東に入国した際、「槍半蔵」の通り名で知られる渡辺守綱が柏原はじめ
          比企郡内に3千石を与えられ、この地に移築されたものとされる。


       <手記>
           万松寺は市野川に北面する崖端にあり、すぐ対岸には松山城が望めます。本堂の背後に土塁
          が残り、その西側にももう1つ土塁状の小丘があります。両者はかつてはつながっていたとも考え
          られますが、本堂裏の土塁が内向きに折れているように見えることから、両土塁間は虎口だった
          可能性もあります。境内の西辺は、西隣の幼稚園との間が段差となっていて、こちらは堀の痕跡
          とみることもできるでしょう。『集成』には堀の存在も記載されていますが、おそらくこの段差を指す
          ものと思われます。
           また、門前南東の民家のお庭には、土塁状の築山が見られます。塀の向こう側なので写真は
          控えましたが、もし土塁を転用したものとすれば、万松寺館の南限を示す貴重な遺構といえるで
          しょう。
           歴史については不明な城館ですが、第一義的に類推されるのは、松山城の支砦ないし付城と
          いった役割でしょう。もし在地領主の居館ではなく、支砦や付城といった純粋に軍事的な施設で
          あったとすれば、「館」とするよりは「万松寺砦」や「万松寺塁」などとする方が、より実態に即して
          いるように思われます。

           
 万松寺。
本堂裏の土塁。 
 その西側の土塁状の小丘。
 丘の上にあるのは歴代住職の墓。
同小丘を外側から。 


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