某館(2)(ぼう)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR川越線川越駅または東武東上線若葉駅よりバス
       「観音堂」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』の下広谷村の項に「古跡三ケ所」とある内の1つと推定
          されている。
           隣接する大堀山館と同時期に築かれたものと考えられているが、他の史料には
          みられず、詳細は不明である。

       <手記>
           大堀山館のすぐ東にありますが、藪の中なのでなかなか行き方がわかりづらい
          城跡です。私が歩いて見た限りでは、上の図のような遺構が認められたのですが、
          これは『日本城郭大系』所収の縄張り図とまったく合っていません。『大系』の図は
          大堀山館についても疑問があるので、あまり当てにしない方が良いのではないか
          と思われます。
           道についても、上の地図に記載されているようなはっきりしたものはありません。
          大堀山館北辺へと続く細い道路の途中に最終処分業者の出入り口があり、その
          真向いに、館跡へ北から入る踏み分け道があります。
           某館(2)は少なくとも南北2つの曲輪に分けられるようです。仮に北郭および南郭
          と呼ぶとすると、南郭がおそらく主郭となります。北から入って最初に見える遺構は
          北郭東辺の堀と土塁です。さらに南下すると、南郭の大きな空堀と土塁が見えて
          きます。結構な規模があり、これを見ると、ようやく城館跡に来たという実感が湧き
          ます(笑)。北郭は南郭の出郭と思われますが、それでも四周を堀で囲まれていた
          ようで、南郭との境では二重堀となっています。
           もう1つ館跡へ向かうルートがあり、大堀山館東の墓苑の南東隅からやはり獣道
          を分け入り、途中で左に折れた先に、おそらく南郭の西辺のものと思われる堀と
          土塁が見られます。その他の部分は、残念ながら藪が深くて踏査は断念しました。
           最初は、『中世城館調査報告書集成』の地図にしたがってあたりをつけたところ
          が現在グラウンドとなっていたため、これは消滅しているのかもと半ば諦めながら、
          グラウンドの東側から南側裏手へ回り、藪へと突入しました。蜘蛛の巣に苛められ
          ながら西へ西へと進むと、上の図の西辺の土塁を発見し、感動とともに安堵するに
          至りました。
           某館(2)が、その他の大堀山館周辺の城館跡と同じく、城郭群として同じ時期に
          築かれたのであろうことは、『大系』にもある通り想像に難くありません。


           
 南郭の空堀。
南郭堀の北西隅。 
 
 北郭東辺の堀。。
北郭堀の南東隅。 
 南郭西辺の堀と土塁。
同じく南郭西辺の土塁。 


BACK