ブオンコンシーリョ城
(Castello del Buonconsiglio)
 別称  : マルコンシー城
 分類  : 平城
 築城者: トレント司教領主
 交通  : トレント中央駅徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           ローマ時代から、トレントの軍事施設があったともいわれる。今日の城館は、12~13世紀
          ごろにトレント司教領主が築いたマルコンシー城が原型とされる。マルコンシー(Malconsey)
          とは城丘の名称であったが、イタリア語の「悪い助言(male consiglio)」に似ているとして、
          14世紀以降に「良い助言(Buon consiglio)」を意味するブオンコンシーリョ城に改められたと
          いわれる。
           14世紀初頭の司教領主ゲオルク・フォン・リヒテンシュタインは、南はヴェネツィア共和国、
          北はチロル伯を兼ねるオーストリア公フリードリヒ4世と対立し、その過程で生じる税負担や
          圧政に反発したトレント市民が1407年に大規模な反乱を起こした。ゲオルクはフリードリヒ
          4世に救援を要請し、その軍勢によって助け出されたが、ブオンコンシーリョ城に拘留された
          後にウィーンへ連行され、いくつかの城を取り上げられた。当時、フリードリヒ4世はローマ
          教皇から破門されていたため、ゲオルクは1409年にその解除を条件として解放され、財産
          と権利も返還された。
           ゲオルクおよび次代のアレクサンデル・マゾヴィエツキから、1代挟んでヨハネス・ヒンダー
          バッハのころまで防備・居館の両面で大規模な改修が続けられた。また16世紀初頭には、
          ルネサンス様式のマグノ・パラッツォ(大宮殿)が増設され、それまでの城館はカステル・
          ヴェッキオ(古城)と呼ばれるようになった。
           17~18世紀には館内がバロック様式に改修されるなど、その後もトレント司教領主の館
          して栄華を極めたが、1803年の「世俗化」によって司教領は帝国領に併合され、750年以上
          に及ぶ司教領主の支配は終わりを告げた。ブオンコンシーリョ城はオーストリア軍の兵舎と
          なり、今日では博物館として公開されている。


      <手記>
           トレント旧市街の北西に、城壁と接して築かれた城館です。旧市街に対して一段高い場所
          にあり、高位聖職者の城といえば総じて内郭の居館はゴージャス、外郭の武装は重厚という
          イメージですが、当城もその例に違いません。とはいえ、建物の一部は城壁の外側に建って
          おり、堀跡が中庭として壁に囲まれていたりと、少なくとも17世紀以降は城砦としての機能を
          ほとんど失っていたものと思われます。
           館内はとても広くて部屋数も多く、また建物内に廊下橋や中庭があったりして、迷ってしまう
          うえに歩き回って疲れてしまいます。館内には資料や立派な美術品などが数多く展示されて
          いたり、企画展などもあったのですが、覚えていない部分も多々あります。こういった司教の
          宮殿を見ていると、神の恩寵とはなんなのか、ルターならずとも疑ってしまいますね笑

           
 城壁の円形櫓。
カステル・ヴェッキオを見上げる。 
 古城の主塔内部。
大宮殿内の渡り廊下。 
 同じく建物内の中庭。
大宮殿の部屋の一つ。 
 (おそらく)古城建物の礼拝堂。
城館外側の堀跡とみられる庭園区画。 
 同上。
城内庭園と大宮殿。 
 旧市壁とその外側の建物。
アクイラ門。 
 旧市街側から城館を仰ぐ。
サルダーニャ山からブオンコンシーリョ城を見下ろす。 


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