駒形城(こまがた)
 別称  : 茅野城
 分類  : 山城
 築城者: 茅野光親
 遺構  : 曲輪跡、堀
 交通  : JR中央本線上諏訪駅よりバス
       「西茅野公民館」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           茅野(千野)太夫光親によって築かれたと伝わる。光親は、諏訪貞方の弟敦真の子とされる。光親の
          次男清貞は伊那郡藤沢へ移って藤沢氏の祖となったとされる。茅野氏は、その後千野氏と表字を変え、
          諏訪氏の重臣として活躍した。千野氏がいつごろまで駒形城に居していたのかは明らかでない。文明
          十五年(1483)の文明の内訌のときまでには、居城を大熊城へ移していたものと思われる。


       <手記>
           駒形城は、西茅野集落背後の峰の、さらに尾根先にあります。城跡には、現在御嶽神社をはじめと
          するいくつかの祠が祀られています。そのうち最奥の祠は、主郭背後の堀切底に鎮座しています。
           駒形城は、主郭と背後の堀切を基調としたほとんど単郭の城です。北西麓から神社へ登る石段の脇
          には、人ひとり歩けるかどうかという小テラス状の帯曲輪が2段ないし3段めぐっています。『日本城郭
          大系』には、堀切の背後にも2つほど曲輪があるかのように書かれていましたが、尾根筋を歩けど自然
          地形が続き、人の手が加えられているようには見受けられませんでした。
           私の印象として、駒形城は諏訪地方でもっとも規模の小さい城のひとつであるるように感じました。
          このことから、駒形城は千野氏のごく初期の城であり、大熊城に移った後はほとんど顧みられなかった
          のではないかと考えています。なお、駒形城下の西茅野は、沢水豊かで日当たりも良い緩やかな斜面
          の集落です。古来生産性の高い地域であったことが推測されます。また「駒形」という名称から、古代
          の牧との関連も指摘されています。

           
 駒形城主郭のようす。
主郭背後の堀切。 
 主郭下の帯曲輪と思しきテラス状地形。


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