カウドレイ館
( Cowdray House)
 別称  : カウドレイ遺跡
 分類  : 館
 築城者: サー・ジョン・ド・ブーン
 交通  : ハルスミア駅またはチチェスター駅よりバス。
       「ミッドハースト」バス停下車徒歩10分。
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1284年、カウドレイ館はサー・ジョン・ド・ブーンによって隣接するアンの丘にあった
          ノルマン城に代わる居館として建設された。カウドレイとは、近くにあったハシバミの
          林を指すノルマン語にちなむとされる。1305年には国王エドワード1世父子が当館を
          訪ねている。なお、この頃は"Coudreye"と表記していた。
           15世紀末、ブーン家の娘婿となったサー・デイヴィッド・オーウェンが館を相続した。
          デイヴィッドは国王ヘンリー7世の叔父にあたる。1520年代に、デイヴィッドによって
          カウドレイ館は現在に残る遺構の規模に増改築された。また、この頃に館の表記も
          現在と同じに改められたとされる。
           1529年、デイヴィッドの子ヘンリーは、館をサー・ウィリアム・フィッツウィリアムに
          売り払った。この売却は正式な手続きを経たものではなかったらしく、デイヴィッドは
          1535年に死去するまで館内にとどまった。この間の1533年には、国王ヘンリー8世
          の許しを得て、ウィリアムが館に銃眼を設けるなどの防備を施している。1536年に
          ローマカトリックと対立したヘンリー8世が修道院を解体すると、ウィリアムはこれに
          協力してサウザンプトン伯に封じられ、ウィリアムの異父弟アンソニー・ブラウンは
          召し上げられた修道院施設を拝領した。兄弟は国王の寵愛を受け、ヘンリー8世は
          1538年以降3度にわたってカウドレイ館を訪問している。修道院解体に際し、迫害
          された修道士の1人が、「汝らは火と水による災いを得、国外で非業の死を遂げ、
          その血脈は絶えるであろう」と、ウィリアムを呪ったといわれる。同38年から翌39年
          にかけて、ヘンリー8世と対立したソールズベリ伯マーガレット・ポールが反逆罪に
          問われてカウドレイ館で厳しい取調べを受けた。彼女はその後ロンドン塔へ移送
          され、処刑された。ウィリアムの跡はアンソニーが継ぎ、アンソニーの子アンソニー
          (同名)は、1548年にモンターギュ伯に封じられた。
           イングランド内戦さなかの1643年、カウドレイ館の3分の2と館内の全食器が差し
          押さえられ、議会軍が駐留することとなった。この状態は1660年まで続いたといわ
          れる。
           1793年9月24日、職工小屋からの出火により、カウドレイ館はほぼ全焼した。その
          同じ週、ときの当主モンターギュ伯ジョージ・ブラウンは、ライン滝での舟遊び中に
          溺死した。跡を継いだマーク・ブラウンは嗣子なく死去し、モンターギュ伯家は断絶
          した。前述の修道士の呪いは、こうして250年以上越しに実現した格好となった。
          館はジョージの妹とその夫ウィリアム・ステファン・ポインツが継承したが、当然彼ら
          は焼け落ちた館跡に住むことはできず、敷地内に小屋を建てて生活した。ウィリアム
          の死後は3人の娘が相続したが、廃墟を分け与えられたところでいかんともしがたく、
          エグモント伯ジョージ・パーシヴァルに館跡を売り渡した。
           1908年には、ジョージは館跡をウィートマン・ディッキンソン・ピアソンに売却した。
          ウィートマンは、1910年にカウドレイ男爵を、次いで1917年にはカウドレイ伯を称した。
          さらに、当時はもはや蔦の絡まり放題だった館跡を、廃墟のままで修復した。現在も
          カウドレイ伯家が館跡を所有している。

       <手記>
           カウドレイ館はミッドハーストの町の東外れ、ラサー川に面した草原に完全な廃墟
          として佇んでいます。とはいえ、今も立派なカウドレイ伯爵の持ち物ですが、住める
          訳でもないので一般に公開されています。月に一度くらい無料公開されている日が
          あるらしく、私が訪れた時がたまたまこの日で、たいへんラッキーでした。
           館内は基本はオーディオガイドに従って見学します。日本語バージョンはないの
          ですが、なぜか手書きの日本語の案内ノートがあって、親切にもお借りすることが
          できました。どこのどなたが書いたものかは分かりませんが、几帳面な人もいるもの
          です。
           カウドレイは基本的には居住目的オンリーの館であり、本来は城と呼ぶべきもの
          ではないでしょう。ただ、西洋の城に不可欠なもののうち堀はないものの、銃眼と
          礼拝堂があるという何とも中途半端な施設です。一応、防御設備があるということと、
          外見がすでに宮殿ではなく廃墟であるということから、多少の無理はありますが、
          城跡として扱うことにしました。
           館内のうち東側の塔2本については中に入ることができます。このうちさらに南東
          隅の塔には最上階まで登ることができ、景色を楽しむことができます。この塔の1階
          は台所で、当時の食材や食器、調理道具などがレプリカで復元されています。
           カウドレイのあるミッドハーストは、交通の便の良い町とはいえません。ひとつ東の
          町ペットワースはアンティークの町として知られているらしく、遺跡やアンティークに
          興味のある人には、訪れる価値が高いエリアと思われます。

  
 西側から館跡を望む。
北東隅の塔跡を望む。 
 北東隅の塔跡を見上げる。
大ホール跡。 
 礼拝堂跡。
南東隅の塔1階の台所のようす。 
 北西隅の塔跡を望む。
南東隅の塔屋上からの眺め。 


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