大雲院土居(だいうんいん)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 深沢氏か
 遺構  : 土塁
 交通  : JR御殿場線御殿場駅からバス
       「大雲院」バス停下車


       <沿革>
           大雲院の寺伝や『駿河記』によれば、深沢八郎右衛門が周辺を開発し、大雲院を
          開基したとされる。深沢氏は駿東の大身領主大森氏の庶流ともいわれるが、詳しい
          系譜は不明である。大森氏は藤姓を称しているが出自は定かでなく、15世紀前半
          の大森頼春の代に相模国へ勢力を拡大した。大雲院土居は深沢氏の居館と推測
          されているが、確証はない。
           永正年間(1504〜21)ごろに今川氏親によって深沢城が築かれたと考えられて
          おり、その前の文亀年間(1501〜03)までには大森氏も伊勢宗瑞(北条早雲)に
          駆逐されているため、深沢氏もこの間に滅ぼされたか今川氏に屈したものと思わ
          れる。
           八郎右衛門以外の深沢氏やその居館については不明である。


       <手記>
           大雲院は足柄SAの真西に位置し、深沢城の500mほど南にあたります。南側に
          川が流れているのですが、直接面してはおらず、あまり要害性は感じられません。
          入口の門は深沢城の大手門を移築したものだそうですが、関東大震災で倒壊し、
          再興したものということです。
           境内の東辺と北辺に見紛うことない土塁が結構な長さで残っています。本堂裏の
          墓地の縁も外側に対して一段高くなっていて、城域に含まれるものと考えられます。
          さらに、門から道路を挟んだ反対側の駐車場脇にも土塁と思われる地形がみられ、
          これらを総合するとかなりの面積をもつ城館だったものと拝察されます。
           一介の在地領主の館にしては規模が大きすぎるようにも感じられ、あるいは武田
          信玄が深沢城を攻めた際の陣城として取り立てられたのではないかとも考えられ
          ます。
           ちなみに、大雲院自体、かなり綺麗に整備されたお寺と映りました。庭園も楼門
          もしっかり手入れが行き届いていて、されに庭の池に流れる水は富士山の地下水
          ということで、お参りして清々しいお寺でした。そんな小生の気持ちを歓迎するかの
          ように、この日はすっきり晴れた青空に東富士演習場の自衛隊機か何かが残した
          数筋の飛行機雲が、素敵な景観を呈していました。

           
 大雲院表門。伝深沢城大手門。
東辺の土塁。 
 北辺の土塁。
墓地南辺ようす。土塁の跡か。 
 東側駐車場脇の土塁状地形。
おまけ:楼門と飛行機雲。 
 おまけA:大雲院の景色。


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