土居構(どい)
 別称  : 東之館
 分類  : 平城
 築城者: 石川氏か
 遺構  : 土塁、石垣、堀跡
 交通  : JR予讃線伊予西条駅からバスに乗り、
      「伊曽乃」下車徒歩10分


       <沿革>
           高峠城主の平時の居館とされる。高峠城下には東之館と西之館の2つがあり、土居構は
          前者といわれるが、後者の位置については今も明らかでない。『澄水記』によれば、16世紀
          前半ごろに石川伊予守が西之館に、その子・虎千代(後の備中守通清)が東之館に住んだ
          とされる。
           天正十三年(1585)の四国の役で石川氏が滅ぶと、土居構も廃されたものと考えられる。
          寛永十九年(1642)、久門政武が中野村庄屋として土居構の跡に移り住み、今日に至って
          いる。


       <手記>
           土居構は高峠城山から北東に延びる峰先麓の先端角地に位置しています。久門家居宅
          が土居構跡として県の史跡に指定されており、東辺の通用門付近に石碑や説明板が建て
          られています。東と北の2辺には石垣が巡り、通用門付近では犬走り状のテラスを伴う2段
          構えとなっているのが特徴です。小沢の流れる東辺と、北辺の下はかつて低まった田んぼ
          であったようで、堀の跡と思われます。
           地続きの南辺と西辺には堀が設けられていたと推測されますが、今日では失われている
          ようです。また、南方には古刹の保国寺と伊曽乃神社があり、これらとの関係も重視された
          のでしょう。

 土居構東辺のようす。
説明板と石碑。 
建物左側側面にも説明板があります。 
 東辺下のようす。
北辺のようす。 


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