道場館(どうじょう) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 畠山重忠か | |
遺構 : なし | |
交通 : JR京浜東北線浦和駅よりバス 「道場」バス停下車 |
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<沿革> 金剛寺周辺に堀の内の字が残り、かつては空堀の跡があったといわれる。金剛寺は、畠山重忠 が建久年間(1190〜98)にこの地を領していたとき、土中から観音像を得て本尊としたのが草創と される。このときに同時に営まれた道場が、現在の地名の由来とされている。 重忠がこの地を領していたという確かな証拠はないが、こうした伝承から、道場館は重忠によって 築かれたのではないかと推測されている。館の北東1.5kmほどのところには、重忠の家臣とされる 真鳥日向守の居城真鳥山城がある。道場館を重忠築城とすると、元久二年(1205)の畠山重忠の 乱で重忠ら一族が滅亡した後に廃されたものと考えられる。 <手記> 道場館は、金剛寺や天満宮一帯にあったとされています。かつては堀の痕跡があったということ ですが、今では失われているようです。周辺は鴨川の河岸段丘にあたりますが、比高差はほとんど なく、要害性は見受けられません。おそらくは道場の名の通り、金剛寺を主体とする何らかの施設 があったものと思われます。 館跡を示すようなものは何もありませんが、天満宮の前に重忠と寺社のかかわりについて記され た説明板があります。 ちなみに、金剛寺は隣接の幼稚園の遊具が本堂の前にも並び、寺の方が肩身が狭いような感じ になっています。まさに、庇を貸して母屋を取られるといったところでしょうか。幼稚園が本体となって いるため、寺自体の閉門も早いのだそうです。 |
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道場館跡現況(金剛寺)。 | |
説明板のある天満宮。左手に金剛寺。 |