海老名氏館(えびなし)
 別称  : 海老名館
 分類  : 平城
 築城者: 海老名氏
 遺構  : なし
 交通  : 小田急線本厚木駅よりバス。「河原口」バス停下車


       <沿革>
           横山党の一流海老名氏の居館である。海老名氏は横山盛兼の子季兼にはじまると
          される。季兼の孫とされる季久は、治承四年(1180)の石橋山の戦いで平家方として
          戦ったが、後に頼朝に与して功を挙げたため、御家人として取り立てられた。
           建暦三年(1214)の和田合戦において、横山党は和田義盛方に属して敗れたため、
          海老名氏も一時衰退した。戦後しばらくして海老名氏は勢いを取り戻したとみられて
          いるが、元弘三年(1333)の鎌倉滅亡に際して、海老名氏は新田義貞軍と戦い、再び
          勢力を失ったとされる。
           永享十年(1438)の永享の乱で、海老名氏は鎌倉公方足利持氏に従い幕府の追討
          軍と戦った。持氏軍は早川尻での戦いに敗れ、海老名氏館の西方にある海老名道場
          (宝樹寺)に退いた。その後持氏は鎌倉で自害したが、このとき海老名尾張守・上野介
          兄弟も捕えられ、自刃した。
           この乱の終結により、海老名氏は壊滅したとみられる。ただ、一族の海老名兵衛尉
          広治が安房里見氏の将で娘婿の大島正時とともに海老名郷を回復し、広治の病没後
          に正時が跡を継いで中新田に屋敷を構えたとする伝承が残っている。


       <手記>
           有鹿神社の南に字御屋敷があり、海老名氏の館はこのあたりにあったと考えられて
          います。以前は、有鹿小学校の南側に方形区画の水田地があったということですが、
          今ではすっかり宅地化されています。
           遺構はおろか、城館跡を示すものは何もありません。開発の前に発掘調査が行われ
          なかったのは残念というよりほかありません。

           


海老名氏館跡周辺現況。


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