江井館(えねい)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 江井氏
 遺構  : 土塁か
 交通  : JR常磐線磐城太田駅徒歩20分


       <沿革>
           相馬氏庶流江井氏の居館とされる。江井氏は、元享三年(1323)に陸奥国行方郡へ
          下向した相馬重胤の叔父胤重の子氏胤にはじまるとされる。
           天正十四年(1586)に田村清顕が没して家督争いが勃発すると、伊達・相馬両家が
          それぞれ介入を図った。同十六年(1588)、相馬義胤が親相馬派に推されて三春城に
          入城しようとしたが、親伊達派の田村月斎に狙撃され、義胤に同行していた江井胤治
          が死亡した。胤治には男子がなかったが、養子を迎えて家名は存続した。
           江井館の廃城時期は不明だが、遅くとも相馬家が中村城に居城を遷すまでの間と
          推測される。


       <手記>
           江井館は、『日本城郭大系』によれば江井字堀の内にあったとされていますが、現状
          で当該の小字がどこか正確にはわかりませんでした。上の地図に示した2本の土塁状
          地形がみられ、位置的にもともと1本の土塁線だったものと思われます。土塁の西側の
          旧家は字を堀内前といい、『大系』の記述が正しければ、館に隣接していた可能性が
          考えられます。また、土塁の北側の字を馬場というようです。『大系』には空堀が残ると
          ありましたが、こちらはどこのことかわかりませんでした。
           さて、江井胤治といえば蒼天録以降の「信長の野望」シリーズに登場する相馬家の
          武将として、意外と知名度があるように思います。ゲームでは政治以外はからきしダメ
          という少々かわいそうな役どころですが、実際には軍事面でも活躍していたそうで、
          もう少し日の目を見てもよいのではないかと、館跡を訪ねつつ改めて感じました。

           
 江井館跡一帯を望む。
土塁状地形・その1。 
 その2。かつては1本の土塁だったか。


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