今井城(いまい)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 今井貞信か
 遺構  : なし
 交通  : JR高山本線飛騨宮田駅徒歩20分

       <沿革>
           木曾義仲四天王の一人・今井兼平が元暦元年(1184)の粟津の戦いで主君・義仲と共に
          悲壮な最期を遂げると、兼平の妻は幼い遺児を連れて飛騨国益田郡大洞(現在の小坂町
          若栃山の麓)に隠れ住んだ。兼平から数えて7代目(8代とも)の今井貞信(定信)は、大永
          (1521〜28)のころに奥田洞周辺を侵して移り住んだとされる(『飛州志』)。
           他方で今井八幡神社の縁起によれば、貞信は兼平の長子で、宮田村へ直接移り住み、
          10代信家が三木右京進に仕えたとされる。三木氏で右京進を称したのは飛騨三木氏初代・
          三木正頼ないしその子・久頼で、いずれも15世紀の人物であるため、『飛州志』の記述とは
          少なくとも代数が合わない。
           縁起によれば18代信孟のときに三木氏(姉小路氏)が金森氏に降って没落し、今井氏も
          野に下ったとされる。


       <手記>
           奥田洞の今井八幡神社が今井城跡とされています。本殿に向かって左手奥の山肌に、
          藪に隠れて城址標柱がひっそりと建っています。遺構らしきものはみられず、背後山上には
          中根城があることから、これを詰城とする館城だったのでしょう。
           また、山稜を挟んだ東側にも殿垣内の小字と屋号があり、こちらにも今井氏関連の城館が
          あったものと推察されます。

           
 今井城跡とされる今井八幡神社。
城址碑。 
 境内前からの眺望。


BACK