今井殿垣内(いまいとのがいと)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 今井氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR高山本線飛騨宮田駅徒歩10分

       <沿革>
           奥田洞・大ヶ洞両村を領した今井の城館跡と推測される。今井氏は木曾義仲四天王の一人・
          今井兼平を祖とし、兼平が元暦元年(1184)の粟津の戦いで主君・義仲と共に討ち死にすると、
          兼平の妻は幼い遺児を連れて飛騨国益田郡大洞(現在の小坂町若栃山の麓)に隠れ住んだ。
          兼平から数えて7代目(8代とも)の今井貞信(定信)が、大永(1521〜28)のころに宮田周辺を
          侵して移り住んだとされる(『飛州志』)。
           他方で今井八幡神社の縁起によれば、貞信は兼平の長子で、宮田へ直接移り住み、10代
          信家が三木右京進に仕えたとされる。ただし、三木氏で右京進を称したのは初代・三木正頼
          ないしその子・久頼で、いずれも15世紀の人物であることから、『飛州志』の記述とは少なくとも
          代数が合わない。
           縁起によれば18代信孟のときに三木氏(姉小路氏)が金森氏に降って没落し、今井氏も野に
          下ったとされる。


       <手記>
           今井氏の居館は奥田洞の今井八幡神社にあったとされています。国道沿いには、その名も
          「今井城殿垣内」という食堂いう食堂があり、訪ねてみたところ残念ながら臨時休業でしたが、
          脇でご主人の弟さんが作業をしておられました。その方のお話によると、殿垣内の小字はお店
          から東へ200mほどの水田地を指すそうです。
           現地は東側に大ヶ洞谷川が流れる山裾で、たしかに城館が築かれておかしくない地形といえ
          るでしょう。川沿いに横堀状の地形があるものの、位置的に不自然なのでこれは遺構ではない
          と思われます。圃場整備された水田なので遺構らしきものは見当たりませんが、南側の道沿い
          に今井家の墓が、西辺の生活道路沿いに数多くの古い墓石群がありました。今井八幡神社も
          殿垣内も、背後の尾根を遡ると詰城とみられる中根城に至ります。本家と分家が、それぞれに
          居住していたとする推測は十分に成り立つでしょう。
           食堂「今井城殿垣内」さんも、改めて食事にうかがいたいと思っています。

           
 字殿垣内現況。
同上。 
 比定地角の斜面。
比定地東側の横堀状地形。 
遺構ではないと思われます。 
 東側を流れる大ヶ洞谷川。
今井家の墓。 
 比定地西辺付近にある墓碑群。
食事処「今井城殿垣内」。 
 お店の壁にある由来の説明板。


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