河渡城(ごうど)
 別称  : 合渡城
 分類  : 平城
 築城者: 井戸十郎
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道線穂積駅徒歩20分


       <沿革>
          土岐氏家臣井戸十郎が屋敷を構えたことに始まるという。十郎は、300貫文を領して
         24年間居城したとされる。
          その後、稲葉一鉄良通が攻略して嫡子貞通を置いたとも、安藤守就の子尚就の城と
         なったともいわれる。安藤氏は織田信長に武田氏への内通を疑われて追放されたが、
         本能寺の変に際して旧領回復を図り、この河渡城や、南西2kmほどの本田城を襲撃
         した。しかし、安藤父子は稲葉一鉄の反撃に遭い逆に滅ぼされた。廃城期間は不明で
         ある。


       <手記>
          城の正確な所在は定かではありませんが、『日本城郭大系』の記述によれば、東南
         に長良川が流れ、東側をその支流が洗い、西には夕部ヶ池があり、西から南へ池から
         流れる川が長良川へ注いでいたということです。このことから、その位置は現在の合渡
         小学校の西南あたりに比定されるものと思われます。
          南西に500mほど行ったところに旧中山道河渡宿があり、城を挟んで南北にそれぞれ
         河渡の渡しと小紅の渡しがあったことから、交通の要衝にあったことが分かります。


           


伊自良川堤防より河渡城周辺を望む。


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