五本松城(ごほんまつ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 西郷正勝
 遺構  : 不詳
 交通  : JR東海道本線豊橋駅よりバス
       「西郷小学校前」バス停下車徒歩20分


       <沿革>
           永禄四年(1561)、月ヶ谷城主西郷正勝は、城を嫡男元正に譲り、自身は五本松城を
          築いて移った。
           翌永禄五年(1562)、西郷氏領は三遠国境を越えて進攻してきた今川軍に攻められ、
          正勝・元正父子はそれぞれ五本松城・月ヶ谷城で討ち死にした。西郷氏の名跡は徳川
          氏に仕えた元正の嫡子義勝や正勝の弟清員に受け継がれたが、五本松城のその後に
          ついては不明である。


       <手記>
           五本松城は、西郷氏の本城とされる月ヶ谷城背後の山稜を越えた北側の谷あいの地
          にあります。月ヶ谷城下には、三遠を結ぶ主要街道のひとつ本坂道が走っていますが、
          五本松城の東には中山峠があり、脇往還が通っていたものと推測されます。
           山城である月ヶ谷城に対して、五本松城はなだらかな山裾に位置しており、要害性は
          ほとんどないといっても差し支えありません。城のある石巻中山町は三方を山に囲まれ、
          当時は沢水が集まる生産性の高い地域だったと思われます。したがって、五本松城は
          つとめて開発領主の城館であったものと推測されます。あるいは、もともと西郷氏の館
          だったものを、正勝が拡張して城と呼んだのかもしれません。ここで防戦する腹積もりが
          あったとは考えにくく、中山町の周囲には「弾正城跡」や「城山」といった字もあるようで、
          この辺りに詰の城があったものと考えられます。
           また、上の地図の北西隅にある西郷小学校も、小字を城脇といい、西郷氏の城砦が
          設けられていたと伝えられています。その先には立派な遺構を残す西川城址があり、
          あくまで五本松城を居館とする防衛網が一応整備されていたものと思われます。
           ウィキペディアの記述をみると、西郷小学校が五本松城址であるかのように思われて
          しまいますが、中山町の里のどん詰まりにある小字「城屋敷」が城跡とされています。
          上の地図に示したポイントに標柱が建てられています。そこには段築状の畑とお屋敷が
          ありますが、城の遺構なのかどうかは判然としません。

           
 五本松城址標柱。
周辺現況。 


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