権現台場(ごんげん)
 別称  : なし
 分類  : 砲台
 築城者: 旧幕府軍
 遺構  : 土塁か
 交通  : 「神山通」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           元治元年(1864)に箱館奉行所政庁として五稜郭が築かれると、その鬼門鎮守として
          北東の丘陵先端に東照宮が造営された。
           明治元年(1868)に旧幕府脱走軍が五稜郭を占拠すると、翌年四月には新政府軍に
          備えるために、支塞の四稜郭を建造した。このとき、五稜郭と四稜郭を結ぶ線上に位置
          する東照宮にも砲台が置かれた。
           同年五月に新政府軍が函館平野に到達し、同月十一日には箱館総攻撃が始まった。
          四稜郭で激しい攻防戦が展開されたが、その間に新政府軍の長州藩兵が東照宮の
          権現台場を攻め落とした。これにより退路を断たれるおそれが生じた四稜郭の旧幕府軍
          は、五稜郭への撤退を余儀なくされた。権現台場の戦いにより東照宮の社殿は焼失し、
          台場もそのまま放棄された。


       <手記>
           神山通バス停から四稜郭に向かう途中に、権現台場跡および東照宮跡があります。
          箱館戦争で社殿が焼けた後、東照宮は市内の寺社に合祀されるなど転々とし、平成に
          入ってようやく四稜郭北東の陣川町に北海道東照宮として鎮座することになりました。
          現在台場跡に建っているのは、東照宮ではなく神山稲荷神社です。
           臨時の砲台なので、どこまでが堡塁としての遺構か判別は困難です。本殿背後には
          土塁状の土盛りがあり、また本殿前の傾斜は切岸状に整えられていますが、権現台場
          の遺構なのか東照宮の造作なのか、はたまた後世のものなのか定かではありません。
           参道下には石造の鳥居と台場跡の説明板があります。この鳥居は五稜郭や弁天台場
          の石垣普請に携わった石工によるもので、箱館戦争の戦火も耐えた貴重な生き証人と
          いうことです。
           
 説明板。
東照宮時代からの石鳥居。 
 現在の神山稲荷神社本殿。
本殿裏の土塁状土盛り。 
 本殿前方の切岸状地形。


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