ホルンエック宮
( Schloss Horneck
 別称  : ホルンエック城
 分類  : 平山城
 築城者: ホルンエック家か
 交通  : グンデルスハイム駅徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           13世紀前半にホルンエック家によって築かれたとみられているが、ホルンエック家の出自など
          詳細は不明である。1255年、コンラート・フォン・ホルンエックは2人の息子とともにドイツ騎士団
          に入団した。コンラートはこの地域の管区長に任命され、ホルンエック城も管区の要衝としてより
          堅固に改修された。
           1371年、ホルンエック管区は騎士団最高幹部の1人フィリップ・フォン・ベッケンバッハの所領に
          組み入れられた。1401年には、ドイツ王ルプレヒトがこの城に2度滞在している。1438年、ホルン
          エック城は神聖ローマ帝国領内におけるドイツ騎士団の高位騎士団員居城となった。
           1525年、ドイツ農民戦争の一揆勢によりホルンエック城は攻め落とされた。城主ディートリヒ・
          フォン・クレーンはハイデルベルクへ逃れた。その後も一揆勢や盗賊騎士ゲッツ・フォン・ベルリ
          ヒンゲンなどによる略奪や狼藉によって、城内の建物はほとんど崩壊した。しかし、1533年には
          ルネサンス様式で再建された。17世紀の三十年戦争でも損害を受けたが、まもなく修復された。
           1720〜24年にかけて、建物はバロック調に改められた。それまでの堀を渡って城内へと至る
          木橋は石橋につくり直され、主塔は装飾を施されてバロック建築の一部とされた。城(Burg)が
          宮(Schloss)と呼ばれるようになったのはこれ以降のことと推測される。
           1805年、ホルンエック宮とグンデルスハイムの町はヴュルテンベルク王国領となり、城は兵営
          として利用された。1824年からは個人所有としてさまざまな所有者の手に渡り、サナトリウムや
          醸造所などとして使われた。1897年には「ホルンエック宮殿有限会社」が設立されたが、第二次
          世界大戦中には野戦病院となった。戦後に再び病院(サナトリウム)となったが、2020年からは
          ホテルとして営業している


       <手記>
           ホルンエック宮は、ネッカー川にアン川が注ぐ河岸の角に位置してます。ネッカー川の平野が
          いったん終わり、次第に渓谷となっていく喉口部にあたります。すぐ南には、シュタウフェン朝の
          の皇帝居城が築かれたヴィンプフェンの町があり、交通上も重要な町であったと思われます。
           グンデルスハイムの駅前から、緩やかな坂道を登りながら街中を北上すると、城のある丘に
          突き当たります。建物は貴族の館といった感じなのですが、周囲を堀と無骨な城壁で囲まれて
          いるさまは、かつての城のようすをよく伝えています。内部は病院施設ということで見学はでき
          ないようです。
           主郭のさらにもう1つ外側にも城壁や塔が部分的に残っていて、古城の雰囲気をより色濃く
          伝えています。グンデルスハイムの街並みも、中世にタイムスリップしたようなとまでは言いま
          せんが、小さいながら雰囲気の良い町で、穴場的観光スポットといえるのではないでしょうか。
  
 主郭の堀と石橋。
外側の城壁と塔。 
 おまけ:城から駅へ向かうグンデルスハイムの目抜き通り。


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