八幡崎城(はちまんざき)
 別称  : 八幡崎館
 分類  : 平山城
 築城者: 二階堂氏
 遺構  : 土塁
 交通  : JR東北本線須賀川駅徒歩30分


       <沿革>
           須賀川城の支城でるが、築城の経緯などは不明である。天正十七年(1589)六月
          二十六日の須賀川城攻防戦において、八幡崎城は激戦地の1つとなった。攻め手の
          伊達勢は、同日早朝に須賀川城北西の雨呼口と南西の八幡崎・大黒石口から攻め
          寄せた。八幡崎城には、二階堂氏方の河東衆や(岩瀬)東部衆のほか、佐竹氏から
          の援軍が詰めていたとされる。
           須賀川城は、雨呼口の守屋筑後守が内応して火を放ったことにより同日中に落城
          したが、八幡崎城の守兵は退くことなく戦い続け、全員討ち死にしたとされる。
           その後の八幡崎城については不明である。


       <手記>
           須賀川市街西方にある岩瀬八幡神社が、八幡崎城跡です。北東麓から登山道が
          あり、その入口には説明板が建てられています。登山口付近は住宅地で道が狭く、
          駐車で来そうなスペースはありません。歩いて5分ほど東の大黒池防災公園に立派
          な駐車場があるので、そちらを利用するのがおすすめです。
           境内の三方に土塁が設けられていますが、その外側に堀はなく、城とはいっても
          単郭のきわめて簡素なつくりをしています。伊達勢との戦いでは、おそらく籠城という
          より丘全体に拠って迎撃していたのでしょう。
           また、境内南東はその南の尾根筋に向かって土塁が張り出す形になっています。
          その先の尾根の西側は急斜面の切岸に整形されていて、その向こうにはかなり高い
          土塁状の地形が2本見られます。その間は、明らかに人工的な堀切状地形になって
          いるのですが、これが城の造作なのかどうかは判断に窮するところです。

           
 八幡崎城跡近望。
登山口と説明板。 
 岩瀬八幡神社。
境内を囲う土塁と攻防戦戦没者の慰霊碑。 
 境内北辺の土塁を外側から。
境内南東隅の張り出し状土塁。 
 同上。
その南の尾根西辺の切岸。 
 切岸の向こうに見える土塁状地形。
 手前は堀切状になっています。
同じく2本目。 


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