寄居城(よりい)
 別称  : 箱島城
 分類  : 平山城
 築城者: 寄居勘解由か
 遺構  : 曲輪跡、堀跡
 交通  : JR吾妻線小野上駅徒歩15分


       <沿革>
           『中世城館調査報告書集成』には、城主として寄居勘解由の名を記しているが、いかなる
          人物かは不明である。『日本城郭大系』には白井城の支城とある。これが正しければ、寄居
          城は西1qほどのところにある斎藤氏方の白狐城と対峙する前線の城であったことになる。
           寄居氏の実在や寄居城の歴史については明らかでない。

       <手記>
           寄居城は、吾妻川と千沢川の合流地点に突き出した丘陵の先端に築かれた城です。寄居
          とはそもそも城砦を意味する言葉なので、当時は寄居城と呼ばれることはなく、箱島城ないし
          箱島の寄居と呼ばれていたものと思われます。ただし、寄居氏が実在したとすると、あるいは
          寄居城が正式名称だった可能性もあります。
           日影街道の旧道が、城の堀跡をそのままトレースしたように湾曲して走っています。しかし、
          現在県道35号の新道が城の中心を東西に貫いており、城は南北に分断された格好となって
          います。県道の南北に曲輪跡と思しき平場が残っているのですが、ブッシュがひどく城内を
          自由に見て歩くのは困難です。
           堀を隔てた東中学校の敷地も城域に含まれると推測されますが、いまやそれを確かめる術
          はありません。

           
 県道35号線北側から城址先端方面を望む。
 撮影ポイントと画面中央の曲輪は、以前は地続きの
 別郭だったようです。
県道北側の曲輪跡のようす。 
 東中学校西側の堀跡と思しき旧道。


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