大石氏館(おおいしし)
 別称  : 遠江坂館
 分類  : 平城
 築城者: 大石氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR青梅線羽村駅徒歩10分


       <沿革>
           羽村堰の南東に遠江坂という河岸を登る坂があり、その上に屋敷があったといわれる。
          『新編武蔵国風土記稿』では、戦国時代における羽村の知行者を大石左近大夫照仲と
          していることから、『日本城郭大系』ではこの屋敷を照仲のものと推測している。
           照仲は大石定久の弟とされ、定久の養子となった北条氏照に仕え、天正十八年(1590)
          に八王子城を守備して討ち死にしたといわれる。ただし、遠江坂の存在から館が存在した
          として、その主は遠江守を称していたと考えられるが、照仲が遠江を名乗ったことはない。
          照仲以外には、遠江入道として史料に登場する15世紀の大石信重や、その嫡子とされる
          遠江太郎憲重などの名がみられる。したがって、大石氏の館である蓋然性は高いものの、
          いつごろ誰が住していたかは詳らかでない。
           遠江坂を登り詰めたところにある児魂神社の現地説明板によれば、天正元年(1573)に
          当地の住人竹の上遠江守が同社を創建したとされる。「竹の上遠江守」なる人物の存否
          は不明だが、伝承に則るなら遅くとも天正元年までには館が存在していたと推察される。


       <手記>
           遠江坂は今も玉川上水脇の奥多摩街道から河岸を上がる細い坂道として残り、その上
          には東小学校があります。城館が存在したとすれば、小学校の敷地がその跡ということに
          なるのでしょう。
           小学校の東に児魂神社があり、その間はなにやら区画整理と宅地開発が進んでいます。
          神社には上述のとおり遠江守について触れた箇所がありますが、館についてはノータッチ
          です。領主の居館としては一般的な地勢ですので、おそらく大石一族の誰かの館があった
          のでしょう。
 
           
 遠江坂。
館跡推定地の東小学校。 
 児魂神社。


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