花園御嶽城(はなぞのみたけ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不詳
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : 秩父鉄道波久礼駅徒歩40分


       <沿革>
           明確な遺構は確認できるが、史料にはみられず、詳細は不明である。


       <手記>
           花園御嶽城は、花園城背後の独立山山頂に築かれています。南東麓の少林寺
          から、円良田湖畔を経て鐘撞堂山までハイキングコースが整備されており、気軽に
          登ることができます。東西に細長い城山の右翼までは、五百羅漢像が延々と並ぶ
          九十九折れの道となっており、勾配も緩いので楽しく歩けます。ただ、道の脇には
          かなり長くてはっきりとした竪堀が一条あるので、見逃さないよう注意です。人工の
          造作には違いないのですが、他に右翼周辺に堀が認められないため、城の遺構か
          どうかは一応留保が必要かと思われます。右翼頂上は、やはり寺にともなう広場
          として一旦造成されたようで、ここが城域に含まれるかは微妙なところです。ただ、
          峰の付け根付近に広場の造成とは関わりのなさそうな段築が1ヵ所あり、あるいは
          ごく簡単な砦塁化はされていたのかもしれません。もしそうだとすると、花園御嶽城
          は意外と広い城域をもっていたことになります。
           ハイキングコースは尾根の中途で直角に折れて北麓へ向かいますが、城跡へは
          構わず頂上目指して直進することになります。ここから主城域まではやはり大して
          急でもない坂を上りますが、その脇には2〜3段の階段状削平地が認められます。
          これも、人工にはほぼ間違いないのですが、城の遺構かは判じかねます。
           その先の初めて出会う急勾配を登ると、主城域に入ります。まず、北辺に土塁を
          備えた曲輪があり、その先に主郭東辺下の堀が現れます。この堀は、主郭へ入る
          ための土橋によって二分されています。北側の堀は普通の空堀で、北側斜面まで
          続いて竪堀となります。対して、南側の堀は横堀となっています。土橋の手前には
          神社の鳥居があり、土橋自体も社地化にともなって建設されたものとも思われます
          が、後述する南辺の横堀にもみられる両端の畝土塁である可能性も考えれます。
           主郭は方形に整地されており、南辺に虎口遺構が認められます。虎口の下には
          腰曲輪が付属しています。主郭内には謎の石碑が林立していますが、城址碑など
          はありません。周囲の堀や曲輪に気を取られたのか、主郭のようすを写真に収める
          のを忘れてしまったようです(苦笑)。
           主郭の西辺下にも比較的大きな腰曲輪があり、その北端は竪土塁で仕切られて
          います。南辺腰曲輪下には前出の横堀がもう1つあり、その両端は畝土塁と竪堀
          で囲まれ、袋状の堀となっています。
           このように、花園御嶽城の主城域はコンパクトながらシステマティックにまとまって
          おり、遺構の残存状況も良好で、とてもみごたえがあります。花園城の支城である
          ことはほぼ疑いないと思われますが、堀が東や南を向いていること、山内上杉氏の
          築城術の特徴(と個人的に考えている)横堀が防御の要として用いられていること
          から、山内上杉氏ないしその麾下の藤田氏によって築かれ、北条氏の改修は殆ど
          受けていないものと推測されます。
           ちなみに、御嶽城の名は山頂に御嶽神社があったからと思われますが、主郭に
          社殿はなく、周辺の小字は八王子で、敷地内には稲荷の狐像があるという不思議
          なことになっています。


           
 花園御嶽城址を望む。
主郭東辺下南側の横堀。 
 
 同じく北側の空堀。
空堀が竪堀となって落ちる地点。 
 東辺下の土橋。
主郭南辺の虎口。 
 虎口下の腰曲輪。
主郭西辺下の腰曲輪。 
 腰曲輪北端の竪土塁。
主郭南辺下の横堀。 
 横堀西端の竪堀。
同じく東端の竪堀。 
 主城域東端の曲輪の土塁。
主城域へ登る途中の階段状削平地。 
 城山右翼付け根の段築。
右翼へ登る五百羅漢道脇の竪堀。 


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