針ヶ谷陣屋(はりがや)
 別称  : 三郎山、熊沢氏館
 分類  : 平城
 築城者: 熊沢氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR京浜東北線北浦和駅徒歩10分


       <沿革>
           岩付城主太田十郎氏房の家臣熊沢三郎左衛門忠勝の館があったとされる。氏房は
          北条氏政の子で太田氏資の養子として送り込まれたものだが、熊沢氏が北条氏から
          付けられた家臣なのか、太田氏の古くからの家臣なのかは詳らかでない。
           天正十八年(1590)に北条氏が滅び、徳川家康が関東へ入国すると、徳川家臣の
          高力清長が岩付城主となり、浦和郷は清長の預かり領(蔵入地)となった。その代官
          として清長の家臣中村弥右衛門吉照が派遣され、忠勝の館が針ヶ谷陣屋として取り
          立てられた。忠勝は吉照とともに浦和郷統治に当たったとされる。
           吉照は元和八年(1622)に没し、代官職は忠勝が継いだとされる。陣屋は寛永年間
          (1624〜45)まで存続したと伝えられ、熊沢家は芝村(現在の川口市芝)へ移ったと
          される。

       <手記>
           針ヶ谷陣屋は、現在の北浦和小学校北側付近にあったとされています。上の地図
          に示したあたりに、「三郎山」として説明板が設置されています。
           三郎山とは熊沢三郎左衛門に因んだ地名ですが、山というよりは台地の角といった
          ところで、北辺から東辺にかけて沢谷戸(針ヶ谷)に面しています。谷を下ると芝村へ
          至り、この沢谷戸が浦和地域開発の要であったことがうかがえます。

           
 三郎山の説明板。
 
針ヶ谷の谷戸から陣屋跡方面を望む。 
 


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