小堀城(こぼり)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 三枝氏か
 遺構  : 土塁、虎口
 交通  : JR加古川線河合西駅徒歩20分


       <沿革>
           『上月文書』等によれば、赤松氏庶流の三枝氏(光枝氏)が城主とされる。天正六年
          (1578)に始まる三木合戦において、三枝治吉は小堀城を焼き払って三木城籠城に
          加わり、翌七年(1579)二月の平井山合戦で討ち死にしたと伝わる。


       <手記>
           小堀城は加古川に面した平城で、西方に堀井城が、南西には河合城があります。
          これら3城は三位一体のように運用されていたと考えられ、加古川の渡し場の要所を
          押さえていたようです。
           畑の中に南西隅の西門跡とされる虎口跡と、そこから続く長土塁が残っており、その
          脇に説明板も設置されています。その北東側が主郭跡とみられており、民家に沿って
          曲輪北辺と南辺の土塁と思しき土盛り地形が、上図のように延びていました。

 説明板と南西辺土塁。
土塁を西側から。 
 伝西門跡の開口部。
主郭南辺土塁か。 
 同北辺土塁か。


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