日比沢城(ひびさわ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 後藤氏
 遺構  : 不詳
 交通  : 東名自動車道三ヶ日ICから車で15分


       <沿革>
           国人・後藤氏の居城とされる。後藤氏は15世紀に足利将軍家の奉公衆としてその名が
          見え、弘治年間(1555〜58)までには佐久城主・浜名氏を通じて今川氏に従属していた。
          永禄三年(1560)の桶狭間の戦いで、日比沢城主・後藤九郎真泰が討ち死にしている。
           真泰次代の後藤佐渡守直正は、永禄十一年(1568)に徳川家康が遠江へ侵攻すると、
          妻の兄である浜名頼広と共に反家康の立場をとったが、徳川軍が迫ると降伏した。しかし
          直正は、家康の陣へ伺候したところを家康の家来・山岡半七に射殺されたと伝わる。
           日比沢城は、このとき本家から離反して逸早く徳川氏に通じた、分家である本坂後藤氏
          の後藤角蔵実久に与えられた(『本坂後藤氏系図』)。天正十八年(1590)に家康が関東
          へ移封されるに及んで、廃城となったとされる。


       <手記>
           日比沢川とその支脈が形成する河岸段丘の角に築かれた城です。中心部は猛竹藪と
          なっていて、先人の諸サイトを拝見するに冬でも踏査は困難とあったので、夏場の城巡り
          とて山や藪は避けていたのですが、どうせ入れないならと訪れてみました。案の定とても
          城内に入れる感じではなく、また東側は沢に、残る三方は民家や柑橘畑に囲まれていて
          そもそも近づくこともままなりませんでした。
           眼前の国道は本坂道とも呼ばれた江戸時代の東海道脇往還・姫街道で、戦国時代にも
          それなりに交通量があったと推測されます。後藤氏自体の家格も高そうで、整備されれば
          良好な遺構がお目見えするのではないかと思うと、だいぶ口惜しく感じられますね。

           
 本坂道(姫街道)から日比沢城跡を望む。
北東から望む。 
 西側の柑橘畑。


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