日照田館(ひでりだ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 日照田氏か | |
遺構 : 削平地、切岸、虎口跡 | |
交通 : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、 「中山」下車徒歩10分 |
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<沿革> 天正年間(1573〜92)に日照田大学が在城していたとされる。大学は同十七年 (1589)の須賀川城の戦いに際して、主君に従って籠城した二階堂家臣の1人と してその名が見える。同戦いで二階堂氏が滅んだ後の日照田氏および日照田館 については不明である。 『探訪ブックス 日本の城』では館主として佐久間大学や日照田是道の名が挙げ られているが、日照田大学との関連は定かでない。 <手記> 日照田集落の東端に舘の字が残り、その裏手の諏訪神社東側が館跡とされて います。境内が城域に含まれるかは定かでありませんが、主郭とみられる箇所は 広く削平された明るい竹林となっていました。これだけでは城館跡かどうか確信が もてませんが、南辺の切岸は人工の急崖となっており、境内との間には虎口状の 開口部も認められます。そこから下りると、やや崩れていますが腰曲輪も付属して いました。 いったん参道の階段を下りると、脇に藪道が見えるので突入すると、主郭下に もう1つ削平地が広がっています。その入口も虎口状に成形されており、あるいは 大手とも考えられます。この削平地から見上げる主郭切岸は険しく見事で、城跡 を訪ねた実感が最も得られる箇所といえるでしょう。 |
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南麓から日照田館跡を望む。 | |
諏訪神社。 | |
境内東方の削平地。 主郭か。 |
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削平地南辺の切岸。 | |
境内との間の溝。 遺構かは不明です。 |
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境内との間の虎口状開口部。 | |
その下の腰曲輪状削平地。 | |
主郭南下の削平地。 | |
同削平地から見た主郭切岸。 | |
同削平地の虎口状出入口。 大手か。 |