東御所(ひがし)
 別称  : 六田館、東館
 分類  : 平城
 築城者: 北畠氏
 遺構  : 土塁、堀跡
 交通  : JR名松線家城駅よりバス
       「北畠神社前」バス停下車徒歩3分


       <沿革>
           霧山城を築いた北畠氏の別邸ないし一族の館とみられているが、正確な築城年代や城主等は
          不明である。天正四年(1576)の三瀬の変において、霧山城は神戸信孝・羽柴秀吉・関盛信らの
          大軍に攻められ落城した。このとき、城下も焼き払われてそのまま廃されたとされることから、東
          御所も命運を共にしたものと考えられる。
           東御所跡南側にある雪姫桜には、三瀬の変で殺害された北畠具教の娘で織田信雄(北畠信意)
          の正室となった雪姫にまつわる伝説がある。それによると、変報に触れた雪姫は東御所で自害を
          試みるが、御所内の桜の木に縛りつけられた。すると、どこからともなく白狐が現れて雪姫を救い
          出した。姫と狐は逃れて姿をくらましたとするものである。しかし、信雄と雪姫の子とされる秀雄は
          天正十一年(1583)の生まれとされるため、この伝説を雪姫のものとするのは無理がある。


       <手記>
           東御所は、北畠氏館の八手俣川を挟んだ向かいに位置しています。現在、西辺と北辺の土塁と
          堀が良好に残っています。土塁の基部は一部腰巻石垣のようになっていますが、おそらく後世の
          ものでしょう。
           御所跡の南隣に雪姫桜があり、ここに東御所についても触れられた雪姫伝説の説明板が設置
          されています。
           その南側に広がる段々の田地は、最盛期には人口1万を超えると謳われた霧山城下の根小屋
          の区画をほぼそのまま踏襲しているのだそうです。地元の方のお話によれば、それぞれの田には
          当時の屋敷の持ち主の名と思われる小字が残っているのだそうです。
           さらに集落の道を南下して山裾を東に折れると、旧熊野本街道の宿跡の面影を残す須原地区
          にでます。東御所や霧山城とは直接関係はありませんが、地域の歴史を感じさせる趣を今に残し
          ています。

           
 東御所跡北西隅付近のようす。
 田は堀跡。
北東隅付近のようす。 
 雪姫桜。
霧山城詰城跡付近から東御所南側の根小屋跡を望む。 
 伊勢本街道宿場跡の雰囲気。


BACK