樋口内城(ひぐちない)
 別称  : 大石城
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡か
 交通  : JR飯田線伊那新町駅徒歩25分


       <沿革>
           木曽義仲の重臣樋口兼光の居館とする伝承があるとされるが、地名からの類推とみられて
          おり信憑性は薄い。史料にはみられず詳細は不明である。


       <手記>
           樋口内城は西向きに突き出た舌状台地の先端部に位置しています。突端を削るように中央
          自動車道が走り、それ以外の部分も圃場整備により地形が改変されているようです。高速道
          建設に先立って発掘調査が行われ、『日本城郭大系』にはその際の調査結果や縄張り図が
          掲載されています。
           それによると、頂部には主副2郭と副郭前後に2条の堀切があり、南北の台地裾には多くの
          腰曲輪が配されていたようです。今でも、南西麓から高速の側道を上がる中途に古い畑地が
          あり、腰曲輪の名残ではないかと思われます。
           谷戸を隔てた西側には荒神山があり、天文十三年(1544)には伊那衆が立て籠もって武田
          晴信(信玄)と対峙しました。樋口内城をこのときの出城か何かとする向きもあるようですが、
          数日の後には武田勢によって荒神山の伊那衆は駆逐されてしまっているので、2条の堀切や
          腰曲輪群を具えた城砦を築く余裕があったようには思えません。
           むしろ、発掘調査で天目茶碗や石臼、古銭などが検出されていることから、常住することを
          目的とした城館であったとみるのが自然でしょう。その規模から、氏名は明らかでないものの、
          それなりに有力な領主の居城だったのではないかと考えられます。

           
 南西麓から見た樋口内城跡の斜面。
南西斜面中途の古い畑地。 
腰曲輪の名残か。 
 中心部の現況。
中心部から南方を望む。 


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