ヒンターハウス城 ( Burgruine Hinterhaus ) |
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別称 : モンテの城砦 | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: バイエルン公か | |
交通 : Spitz/Donau Hinterhaus Brücke駅より徒歩15分 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1243年の記録にヘルマン・フォン・ニーダーアルタイクの城砦(Castrum)として登場する のが初出とされる。同年、周辺の所領はバイエルン公に譲渡され、さらにキューンリンク家 に譲られた。 1355年にはフォン・ヴァルゼー家に、1385年にはマイッサウ家の手に渡った。1409年に、 城はオーストリア公の意向で一度破壊されたが、1438年にバイエルン公エルンストが当時 の所有者であったオットー5世・フォン・マイッサウから城を貰い受け、まもなく修築された。 1440年、ヒンターハウス城はナイデック家に譲られた。1463年には、パンクラーツ・フォン・ プランケンシュタインの軍勢に包囲されたが、耐え凌いでいる。だが、1493にはハンガリー 軍によって占領された。 1500年ごろからは無人の城となり、崩壊が進んだといわれる。1507年には、アイテル・ フリードリヒ2世・フォン・ツォレルンの所有となった。1529年の第一次ウィーン包囲によって オスマン帝国の脅威が身近なものとなると、ヒンターハウス城も改修が加えられた。 三十年戦争さなかの1620年には、ブッコワ伯シャルル=ボナバンチュール・ド・ロンギュ ヴァル軍によって破壊された。その後は、ほとんど修築はなされなかった。ナポレオン戦争 中の1805年と1809年にも、すでに廃城同然であった城は相次いでダメージを受けた。 <手記> ヴァッハウ渓谷の中心的なワイン集積地の町シュピッツを、西端から見下ろす尾根筋に 築かれた城です。ヴァッハウのなかでも、デュルンシュタイン城と並んで古城らしい面影を 残しています。 「ヒンターハウス」とは、英語にするなら「back house」となり、かつては「後屋敷」と対に なる「下屋敷(Niederhaus)」があったようです(今もあるのかよく分かりませんが)。城は、 シュピッツの観光HPによれば、真ん中の主郭と前後の副郭の3つの部分から成っている そうです。 ところで、シュピッツの町はヴァッハウ渓谷クルーズの立ち寄りスポットとして有名なよう です。とくに中国のガイドブックに載っているのか、たくさん乗船していた中国人観光客が 1人残らずシュピッツで途中下船していきました。 |
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ヒンターハウス城近望。 | |
城跡(左手)とシュピッツの町を望む。 |