平松城(ひらまつ) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 安西景益か | |
遺構 : 曲輪跡、土塁、井戸跡 | |
交通 : JR内房線館山駅からバスに乗り、 「池の内」下車徒歩10分 |
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<沿革> 『房総志料』に「安西式部の城墟」とあり、式部については里見家臣ともいわれるが詳細は 不明である。 一方、戦前の郷土史家である大野太平は、平安時代末期の安西景益の居館跡とする説を 提唱した。旧来、安西氏の本拠は安房勝山にあったとされているが、治承四年(1180)八月 二九日に源頼朝が安房国平北郡猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸した際、勝山にいたので あればその日のうちに伺候できるところ、景益は頼朝から手紙を受け取ってから、九月四日 に一族と数人の在庁官人を引き連れて馳せ参じている。このことから、景益の館は勝山から やや距離があったと推測されることが、平松城景益居館説の論拠となっている。ただし確証 はなく、推論の域を出ない。 <手記> 平松城は、山名川と平久里川に挟まれた丘陵地帯の一端にありました。南西麓の県道が カーブしているあたりに城址標柱があり、そこから集落の道へ入ってまもなく東へ折れると、 松葉ヶ井という古井戸があるので、これが目印です。そこから山道を登ると、城跡をぐるっと 1周できるようになっていて、南側に説明板と城内への入口があります。 城内にははっきりとした曲輪形成は見られず、中心部には古峯神社をはじめ数基の石祠と 立派な城址碑があります。その前方に塚状の人工地形がありますが、どのように使われて 板のかは不明です。また、石碑の奥には仕切り状の低い土塁が見られますが、やはり城内 での役割は定かでありません。 1周する道に戻って北側に回ると、城の北端とみられる切岸地形があります。個人的には、 ここが最も城館跡らしい様相を呈しているように思います。また、東側の道沿いには明確な 削平地がありますが、こちらも曲輪とみるには不自然で、後世に形成された可能性も高いと みられ留保が必要でしょう。 全体的に城館としての遺構や構造がはっきりせず、選地もせいぜい南北朝時代くらいまで と思われるような古めかしさが感じられます。景益の居館であったかどうかは断言できません が、かなり早い時期の城館跡であったことは間違いないでしょう。 |
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城址標柱と奥に平松城跡を望む。 | |
松葉ヶ井跡。登城口の目印です。 | |
南側の入口。 | |
中心部へ向かう途中。 城域内かどうかは不明です。 |
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塚状地形。城域南端か。 | |
主郭のようす。 | |
城址碑。 | |
城址碑奥にある仕切り状土塁。 | |
同上。 | |
北側の切岸。 | |
東側中腹の削平地。 |